『ミノタウロスの皿』藤子・F・不二雄著
本読みました。
ドラえもんで知られる藤子・F・不二雄氏の短編集(漫画)です。異世界や時間旅行などが頻出し、SF的な作品が多いです。SFを舞台演出や小道具として使って何を書くのかというと、その中でも実際の現代社会と変わらずあり続ける人間のエゴやおたがいが分かり合えない様で、ブラックユーモアやシニカルな笑いにあふれた作品になっています。キャラクターがドラえもんやオバQ(こちらは本作の中に後日譚が出てきますが)の、あのコミカルでかわいらしいデザインにもかかわらず、しかし随所で驚くほど怒りや悲しみ、憎しみと言ったネガティブな方面で表情豊かで、そのギャップが本作の毒を効果的に演出していて、また作者の漫画家としての技術の高さが伺えます。
特に面白かったのは、『じじぬき』、『ミノタウロスの皿』、『劇画・オバQ』の三篇です。
■じじぬき
本作は、家族に疎まれ、いさかいを起こしながら肩身の狭い思いをして暮らしている老人が、死んだ後死後の世界から、自分の通夜で嘆き悲しむ親類を見て、ごねて生き返ろうとしますが、生き返った後にまた元のいさかいに満ちた関係に戻ってしまう様を予見夢で見せられて生き返ることを思いとどまるという話です。通夜で皆がおじいさんの思い出話をして、おじいさんとともに生きてきた日々がありありと思いだされるシーンは感動しますが、しかし予見夢を見て生き返ることを思いとどまったことが、物語終盤の平穏な墓参りという平凡なハッピーエンドにつながっているというところがなんともシニカルです。
生きていた時に喧嘩ばかりだったけれど、死んでしまったときに嘆き悲しむ、というのは、確かに欺瞞に満ちているように見えます。作品の意図するところもそこの欺瞞を指摘しているのですが、私は生前喧嘩していたからと言って、死んだときに流す涙が嘘になるとは思いません。作品の指摘するところの欺瞞はもちろん存在するのですが、その欺瞞の上に立脚した愛も紛れもなく愛だと思います。生き返らなかったおじいちゃんのお墓参りをしながら、お母さんが娘に「おじいちゃんがお喜びになるようないい子になるのよ…」というシーンはまさに欺瞞の上に立脚した愛であり平和なわけですが、そこには胸に迫る美しさがあります。
欺瞞の上に立脚した愛
■ミノタウロスの皿
宇宙飛行士の主人公が、人間が牛の家畜として飼われている惑星に入り込んでしまい、価値観の違いに苦しむ話です。牛に食べられようとする主人公の思い人「ミノア」が、主人公に食べられて死んでしまうことをどう思っているかを問い詰められたときのセリフが印象的です。
ただ死ぬだけなんて……何のために生まれてきたか、わからないじゃないの。私たちの死は、そんなむだなもんじゃないわ。
牛に食べられて一生を終えるという、理不尽で恐ろしい死を正当化する彼女に、矛盾が理解できない状態であるということが端的に表れています。人生に意義を見出すことの功罪は、『ヘヴン』川上未映子著、『塩狩峠』三浦綾子著でも指摘されていました。本作ではその意味を見出すという行為が無意識のレベルに進行していて、他の価値観からの指摘に気づくことができない様相を呈しています。
結局ミノアは牛に食べられてしまうのですが、主人公は悲しみに暮れながらも、救助に来た宇宙船の中でビフテキを食べているというのが本作の見どころで、ミノアを救おうと町の牛たちに食人の残虐性をいくら説いても暖簾に腕押しで、価値観の相違に苦悩していた主人公もまた、ビフテキになった牛の気持ちを理解しえなかったという大いなる矛盾が示されています。
好きな人が牛に食べられ嘆き悲しみながらビフテキを食う矛盾
■劇画・オバQ
これは、当時は子供だったオバQの登場人物たちが大人になった後の世界にオバQがやってきて、昔の仲間(正太)の生活とすれ違い、同窓会の酒の席で夢を語り、一時有頂天になるも、正太に子供ができたことを知って正太も大人になったのだと悟り、オバQは人間界から去るという話です。幼き日の夢や無邪気さの象徴のようなオバQが、大人になった後の日常生活にそぐわない様、子供の誕生という大人にとって喜ばしい出来事が、幼き日の夢を終わらせる引導の役割を果たしている点が物悲しい趣の深い作品です。
タイトルに劇画、とあるだけあって、本編の登場人物たちは劇画調で描かれていますが、同窓会の飲み会で夢を語りともに夢に向かっていくと誓い合うシーンにおいてのみ、みんなのデザインがオバQのころのコミカルな色彩に戻る演出がされています。いい大人が、同窓会に出ると子供に戻るという現象のオマージュであり、日常を犯しえない、飼い慣らされた非日常の様子を自身の作品「オバQ」の世界観を借りて表現しています。
子供の誕生という慶事が夢の終わりになるという皮肉
--『ミノタウロスの皿』まとめ--
本作は、
人間のエゴや分かり合えなさをシニカルに描いた作品
です。
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