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読書家の私が言われた悪口ベストスリー

■叩かれる

 

拝啓、盛夏の候、皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。人によっては意外な事実かもしれませんが、

読書してると、割と叩かれます。

面と向かって批判、罵倒してくる場合ももちろんありますし、奇異の視線、物珍しそうな問いかけ、ということになると、もう枚挙にいとまがありません。読書ほど人と社会に迷惑をかけない趣味もそうないと思いますが、世の中には読書している人を見るのが気にくわないという人がいるみたいです。今日は過去に言われた悪口をランキング形式で取り上げ、それぞれに分析を加えてみようと思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■第3位:何が面白いの?

 

読書家の私が言われた悪口の第三位は「何が面白いの?」です。この問いかけは幾分か非難か嘲笑の意味を含み、この後に読書をしている時間と労力の浪費っぷりを非難するか、あるいは嘲笑する文脈が続くことが多いです。読書という営みに興味を持って、純粋な疑問から上記の問いかけを発話することもないではないですが、ほとんどないです。読書をしたことがない人というのが義務教育のある日本ではほとんどいないので…。そう考えると、極論すると日本人は基本的に、「読書をする人」と、「読書が嫌いで読書をしない人」に分かれるということが言えると思います。「読書をしない」ことの理由が、「読書を知らないから」ではなく「読書が嫌いだから」であることは重要なポイントだと思います。「読書を知らないから読書をしない」層がほとんどいません。…ほとんどいないは言い過ぎとしても、他の趣味に比べて有意なレベルで少ないということは言えると思います。これが読書ではなく例えばサッカーなら、日本人全員がサッカーを経験しているというわけではなく、「サッカーをしないこと」の理由は「サッカーが嫌いだから」あるいは「サッカーを知らないから」であって、「サッカーを知らないからサッカーをしない」層がそれなりにいることが予想され、状況が全く違います。この意味において読書という趣味は他の趣味に比して特殊だということが言えると思います。

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基本的に世の中には「読書人」と「読書が嫌いな人」しかいない

 

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■第2位:本の内容を覚えてないなら意味ないじゃん

 

読書家の私が言われた悪口の第二位は「本の内容を覚えてないなら意味ないじゃん」です。ほかの趣味においてこの悪口は発話されうるでしょうか。例えばサッカーをしている人に対して、「試合の点数を記録していないなら意味ないじゃん」という悪口は投擲されうるでしょうか。そういう事はあまりないと思います。というのも、サッカーを知らない人も、サッカーの楽しみは点の取り合いにあるのではなく、ボールが足にあたって飛んでいく感触、ボールを追ってグランドを走る感覚、ゲーム展開の起伏、チーム全体の士気に身を委ねてプレイする忘我感であるということは、なんとなくであれ了解していると思われるからです。然るに読書においては、ページをめくるときの紙の感触、古い本のにおい、かすれた印刷、本を読みながら過ごす喫茶店での静謐なひととき、そう言ったことは全く認められません。この、他の趣味では所与のものとして扱われる、身体的、非言語的感覚が読書においてはを見落とされるということ、これが読書に対する無理解と非難嘲笑の一つの原因ではないかと思います。

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読書における非言語的感覚の楽しみは見落とされがちである

 

なぜ読書と他の趣味の間で、こういった差が生まれるのでしょうか。読書が言語的な主題を取り扱った営みであることはもちろん原因の一つでしょうが、私はやはり、みんなが読書という行為に、義務教育において自由意思に反して触れてしまっているからだと思います。義務教育のときに試験に出るとこの暗記として読書に触れた、そしてその経験が楽しくなかったという記憶が、「読書は情報を吸収するための営みで、それは面白くない」という所感となっているのだと思います。

 

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■第1位:変わってるね

 

読書家の私が言われた悪口の第一位は…



変わってるね

 

これです。

 

自分とは異質のものとして認識していることを開示しつつ、かつそのことに無関心であることをも開示するという、悪口として最も効果的なこのセンテンスは堂々の一位と言っていいと思います。三位と二位はまだ、異質のものと認識しつつも何らかの関心、嘲笑や批判を示していましたが、一位にはそれがありません。こちらが反駁しようにも口論にすらなりません。これが酒の席ででも出たら、もうその場では読書でドヤることを諦めてサッカーの話題でも発話者に振りつつ、席の移動か帰宅を検討するのが賢明というものです。

 

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■読書とは

 

私はこの記事で、ここに挙げた悪口を言われることが悲しいということが言いたいわけでも、こういう悪口を言うやつは悪者なんだということが言いたいわけでもありません。そもそも趣味というのは、周囲からの無理解に苦しまなければならないという宿命を背負っていると思います。あるいは周囲への説明責任から解放されているという表現の方が真実に近いかもしれません。仕事と違って、誰の役にも立たないけど俺は気持ちいい、が許されるのが趣味の本領であり、その性質の負の側面として周囲からの無理解に遭遇することがあるというのが実際のところだと思います。

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趣味で自己満足が許されることと、無理解に遭遇することは表裏の関係

 

しかし周囲からの無理解が趣味にとって全く悪かというとそんなことはなく、無理解の在り方を観察すれば、その趣味について、「自分に理解できて他の人に理解できないもの」が浮き彫りになってくると思います。例えば今度の考察からは、私にとって読書は、

 

本そのものや読書環境に対する嗜好、身体的、非言語的意味をも包括した体験であり、

本が提供する情報以上のものを当該体験から得ている

 

というような特徴を持っているということがわかります。

 

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■ちなみに

 

実際に無理解に出会ったら、理解させてあげようと努力しても無駄に終わることが多いので、「わかんないならほっといて」でいいと思います。

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わかんないならほっといて

 

敬具。

 

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