『カフーを待ちわびて』原田マハ著
読みました。全然面白くなかったです。なぜ面白くなかったのか、そこのところをわかりやすく述べたいと思います。構成は以下の通りです。
■主人公が優柔不断
■友人がクズ
■感情移入の問題
--『カフーを待ちわびて』まとめ--
■主人公が優柔不断
この話は、神社の絵馬にシャレで花嫁募集という趣旨の記載をした主人公のもとにほんとに超美人の独身女性が来るという話です。話の前提が非現実的でご都合主義である点は否定できませんが、この場合逆に気になりませんでした。というのもそれ以前に気になる部分が多かったからです。まず一つ目「主人公が優柔不断」。主体性が全くありません。移転に反対するのもお世話になったおばあちゃんが反対しているから何となく、指輪をプレゼントするのも友人にパンフレットを渡されてアドバイスされたから何となく…一事が万事です。唯一強い意志を感じたのは家に来た超美人の女性に手を出すことを我慢するところでした。そこじゃない感がすごいです(笑)
基本的に待ちの姿勢で我慢だけは得意な主人公
■友人がクズ
主人公の友人が二人出てきますが、この二人がひどいです。一人は故郷のリゾート化のために主人公のもとに借金漬けの女性を送り込んで色仕掛けで移転に同意させようとし、もう一人の友人はその様子を止めるでもなく傍観していたくせに、移転が決まってから主人公にそのことを落涙の体で白状します。しかもそれを受けて主人公は怒りに駆られて立ち去るだけで、彼らと絶交するでもなく、緩く交際が続いていき、最終的に主人公が島を出るときには二人とも見送りに来て大団円みたいな雰囲気になっています。
主人公の育む友情が理解不能
主人公が友人との関係がぎくしゃくしたらいやだからと、強く言うことをためらって結局友人を許していくシーンは、まさにこのメンタリティにしてこの主人公ありの感がありますが、この所業の気持ち悪さの源泉は不適切な女々しさなのだと思います。主人公は20代後半の青年ですがメンタリティが女子中学生である、と言わざるを得ないでしょう。
■感情移入の問題
こんな感じで、主人公の性格や脇役の性格のような小説の核の部分に違和感を感じてしまうと、何が起きるのでしょうか。主人公が彼女と破局しようが、いつもの街並みに彼女の足跡を見つけようが、彼女を探そうと決意して旅に出ようが、「はあそうですか」ということになってしまいます。全く感情移入ができないので、用意されたストーリーの起伏やインパクトが対岸の火事になってしまっています。
あるいはそういう主人公の女々しい行動が、最後の決心に満ちた旅立ちで克服されているという見方もできるでしょうが、見送っているクズの友人の存在が主人公の消極的宥和の態度を象徴するかのようにラストシーンに映り込んでいて、目の上のたんこぶです。未解決の問題が残る気持ち悪さはもちろんありますし、主人公の決意に水を差しています。
登場人物にイライラし始めると、作品の意図された感動についていけなくなる
--『カフーを待ちわびて』まとめ--
夢見がちな主人公としょうもない友人が群れてわあわあやってる作品です。