『四畳半神話大系』森見登美彦著
本読みました。
以下感想です。
■あらすじ
■我々が持つ不可能性
■四畳半が無限に続く世界
■青春の日々
--『四畳半神話大系』まとめ--
■あらすじ
大学生活に希望を抱き、しかし希望が遂げられないまま大学生活を無為に過ごしてしまっている主人公「私」が、個性的な面々との大学生活を何度もやり直し、まだ見ぬ幻の青春の日々を模索する話です。
■我々が持つ不可能性
「私」の師匠的存在である仙人のような大学八回生「樋口」が、「私」の悩みに回答めいた示唆を与えるシーンがあります。
自分の可能性というものをもっとちゃんと考えるべきだった。僕は一回生の頃に選択を誤ったんです。次こそ好機を掴んで、別の人生へ脱出しなければ
可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく、我々が持つ不可能性である。…(中略)…我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想するところから始まる。自分の可能性というあてにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。
我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく、我々が持つ不可能性、これは全く新しく、また逆説的な、非常に鋭い真理だと思います。のちのストーリー展開でも、樋口のこの発言は補強され、主人公は最終的にありうべき人生を夢想することをやめることができるようになります。
一般的には、可能性を信じることは前向きな好ましい姿勢とされます。しかし過去にありえたかもしれない可能性を信じるという方向にその姿勢が発揮されると、これはその人の人生にとって足枷になってしまいます。一般的な意味での可能性を信じるということは、あくまで未来に対して信じられる範囲の可能性を信じて今努力するということで、ここにこの「可能性を信じる」ということの罠があります。
■四畳半が無限に続く世界
この「四畳半が無限に続く世界」というモチーフは非常に面白いものです。無限に続いている四畳半は、作中で「私」が気づいたように、それぞれ過去に別の選択をした場合の自分の部屋であって、ここを行き来するということは、夢想の中であり得べき別の人生を選択していることの暗喩です。別の人生を選択する夢想は、おそらく誰しもしたことがあるでしょう。たいていは他の人生のいいところだけを見て羨み今の人生を後悔して終わりとなるのですが、もっと深く考えると、仮に別の人生が選択できたとしても、その人生にはその人生の悩みや不満があり、その時にまた別の人生を夢想することになることが想像できます。この新しい人生の選択、不満の検知、夢想の堂々巡りを、「四畳半が無限に続く世界」というモチーフは的確に表現しています。
無限に続く四畳半世界は、別の人生を夢想することに原理的に果てがないことを表現している
主人公は四畳半が無限に続く世界の閉塞感の中、かつて出会った、好きな人嫌いな人に会いたいと願います。これが本作で示されている自己肯定の形です。自分の過去の選択の結果としての現在の状況、その核となる周りの人たちとの関係が好きになれたことで、主人公は四畳半から解放されます。またこの世界で得た経験から、無駄な堂々巡りをしないことを学び、実践したことが、四畳半世界で拾った千円札を軍資金に、四畳半の下宿を引き払ったことで示されています。
現在の人生を肯定することで別の人生を夢想することは終わる
■青春の日々
「私」が過ごす日々は、京都の美しい街を舞台に、個性豊かな悪友、敵、味方、師匠、意中の人に囲まれ走り回る雑多な日々であり、不平を漏らし、好機を掴もうともがくその日常が、読者には美しく輝く青春に見えます。彼の日常は、肯定してしかるべき美しさを十分に有しているのですが、そのただなかにある彼はその本質的な美しさに気づくことができません。そんな心境の彼に対し、ヒロインである明石さんが現在の状況の肯定を促すシーンがあります。
好機を掴み損ねた。…(中略)…これでまた、同じことの繰り返しだ
きっともう掴んでいるんです。それに気づかないだけですよ。
日常の閉塞感に悩む人に対し第三者が日常の肯定を促すシーンは、日常生活でもよく見られます。読者の思いとしても明石さんの発言に同意で、美しい青春の中にありながらそれを楽しめない「私」にもどかしさを感じてしまいます。しかし日常に帰ってみると、読者一人一人の態度も「私」のそれに近く、この本書を読んだ際のもどかしさ、あるいは先の明石さんの発言は、日常への肯定を忘れがちな人間という存在に対する静かな警句であるように思えてなりません。
--『四畳半神話大系』まとめ--
「私」は四畳半世界が無限に広がる地獄に閉じ込められるという強烈な体験によって、日常の肯定を回復することができました。しかし読者としては、一時は「私」に感情移入して日常の肯定を知っても、また日々を暮らしていく中で不満や倦怠感といったものは絶えず湧いてきて、また過去の選択を後悔して別の人生を夢想してしまうということがあるかと思います。そんなときにはまた本書を開き、四畳半世界で現実世界を恋しがる「私」を見て、ぜひとも世界に対する認識を調整すべきです。そういう意味で、手元に置き何度も読む価値のある作品です。
■関連する作品
今回紹介した本はこちらです。
同じく森見登美彦氏の作品だと、「夜は短し歩けよ乙女」があります。主人公のメンタリティは今作と似ているのですが、ヒロインの性格がだいぶ違います。私は「夜は短し歩けよ乙女」のヒロインのほうが好みです。
過去に本ブログで紹介しています。