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『みぞれ』重松清著

本読みました。

『みぞれ』重松清

 

 

こないだ「重松清を読まなくなった理由」という趣旨のブログを書いたのですが、久しぶりに実際読んでみるとすごいよかったです。この『みぞれ』は、重松氏お得意のくたびれた人々と困難な人生がふんだんに出てくる短編集です。主人公たちはみな一様に、困難な日常に打ちのめされ疲弊しますが、その困難な日常は、主人公たちの平凡すぎる冴えない人生の中から、情熱や感動といった美しいものを選び出す試金石の役割を果たしていると思います。

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困難な日常は、美なるものを探し出す試金石

 

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例えば、表題作の『みぞれ』は、若いころ怖かった父が、実は心の弱い小物だったと大人になって分かった息子が主人公で、父が加齢のために弱っていき、それに伴って現実的な様々な問題を抱えることになるという困難な状況が舞台ですが、そんな中主人公や父、母が数十年前の家族の何気ない団欒を切り取ったカセットテープを聞き、父の涙を認めるという話です。本来厳しく強くあるはずの父が弱く、安息を提供するはずの家族が重荷になるという困難な状況が、家族の何気ない団欒という感動を見事に浮き彫りにしています。心が弱いくせに強く見せようとして暴力的だった父と、その悪習に追従する悪い意味で従順な母という、凡そ見るべきところのない家庭にも何気ない団欒が確かに存在するという点が重要です。このテープの内容が、改まったものではなく、試し撮りのようなごく短いもので、ただ今よりかなり若い家族の面々が機嫌よく言葉を交わしているだけという点もまた意図的です。家族の本質が見事に描かれた作品です。

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老いてメッキが剥がれ、重荷になりながらも、過ぎし一家団欒を懐かしみ涙を流す父

 

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あるいは、『石の女』は、不妊で子供を持てず、その代わりに老犬を溺愛する夫婦が、愛犬のために自分たちの恥や世間体を捨て去る話ですが、ここでもやはり不妊により犬を息子代わりに可愛がり、その犬も寿命を全うして旅立ってしまいそう、という困難な状況のもとで、親が子を思う本当に美しい感情が試され試練を克服する様が描かれていると思います。主人公たちは、恥や世間体といった常識的な感覚、日常にある寂寞感といった困難な状況を形作る諸々の事情に翻弄され疲弊しますが、この親の愛という美しい感情だけが、その困難さを超越する様は深い感動を呼びます。親の愛は子が何者なのかということに全く頓着してない(何者以前に人間ですらない)点が重要で、やはりそのことによって親の愛の本質に迫る作品になっています。

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外聞や日常の困難の中でも間違いなく遂行される親の愛

 

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さらに『望郷波止場』は、さびれた漁村に住む一発屋の元アイドルが、馬鹿にされることを甘んじて受け入れつつ一夜限りでテレビに返り咲く話です。アイドルになりたかった人とそれを応援する人が、その夢が叶わないと知りつつなおテレビの前で笑いものになることを選ぶ、という見ようによっては胸糞悪いほどの困難な状況ですが、社会的な成功を逸してしまってもなお帰りを待ってくれている人がいるという美しい事実が、まさにその成功の散逸によって明らかになります。幼馴染を思う人情の本質が困難な状況に磨かれ現れた作品だと思います。幼馴染を思う人情というのは、作中でも触れられていますが、既存の愛の分類に染まない愛です。家族愛とも友情とも恋愛感情とも違う種類の感情で、その一端に触れるにはこの小説という手法によるアプローチは極めて有効です。一言では表せなくとも、物語が言わんとしていること全体が、その幼馴染を思う人情だからです。

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成功のチャンスの逸したからこそ帰る場所があることに気づく

 

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■関連する作品

 

テイストとしては、奥田英朗氏の『家日和』『我が家の問題』と似ています。奥田氏の作品のほうがコミカルな日常の中の人間ドラマなのに対し、重松氏の作品は闇金ウシジマくん的な世界観の中にある人間ドラマであるということができます。

 

  

 

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