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『光』三浦しをん著

本の感想

本読みました。

『光』三浦しをん

 

以下感想です。

■あらすじ

■信之の精神状態

   - 津波の地獄を本当の意味で忘れることができない

   - 暴力と理不尽に対する強烈な明晰さ

   - 「暴力」そのものであるということ

--『光』まとめ--

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■あらすじ

津波に襲われた島「美浜島」の生き残りの少年少女三人が、津波直後の非日常の中で犯した罪を巡って、各々の思惑で再会し絡まりあう話です。生き残った少年少女は、島を出た後に自分の持てるものを最大限に使って成功を収めた「美花」、美浜島の自然を愛しながらも閉鎖的な島の人間関係を嫌い、美花とのセックスに夢中の「信之」、父親の虐待の記憶と信之へのゆがんだ執着に支配されている「輔」の三人で、そのほかに大人が何人か生き残っていますが、作中でもっとも力を入れて描写されているのは「信之」です。以下、信之の精神状態について思ったことを述べます。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


■信之の精神状態

信之は成人してからも津波の影響で感情の一部が抜け落ちたように成長してしまいます。信之に執着する輔と対峙するときも、少年の頃甘い夢を見ていた美花に捨てられたときも、あくまで冷静で、必要に応じて輔の身辺を監視したり、犯罪を犯したりしますが、それらを市役所勤務の合間を縫って淡々と行っている様が不気味です。


   - 津波の地獄を本当の意味で忘れることができない

信之には妻子がいて、一家の日常の食卓に供されたスクランブルエッグを見て、津波の後の島で見た腐乱死体を思い出すシーンがあります。


スクランブルエッグを端で突く。小さな生き物のなれのはて。信之はふと、獣にかじられた西村のおばちゃんの、尻からあふれていた黄色い物体を思い浮かべる。あれはなんだったのだろう。脂肪か、腐乱した肉か。

この、日常とりわけ食卓に不釣合いな吐き気を催すグロテスクな回想が、信之の意識が日常を遊離して津波による地獄にいまだとどまっていることをうまく表しています。また、輔と島に戻ったら何をするかという内容の会話をしたとき、輔は「島に草花を植える」と答えたのに対し、信之は下記のように声に出さず答えます。


なにもしない。日がな海を見る。いつかまた水平線の彼方から大波が押し寄せてくるのを待つ。飲み込まれ、逆巻く波に揉まれながら、静かな海底で妹の骨が白く光るのを一瞬見る。そして終わる。

島そのものに執着しつつも、希望的な未来を話す輔に対し、信之は島そのものよりも津波という理不尽によってもたらされた地獄のほうに執着していて、その執着が信之から希望を根こそぎ奪い、破滅的行為へ彼を駆り立てている様が描かれています。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


   - 暴力と理不尽に対する強烈な明晰さ

信之が日常の中にあって自身の哲学を述べるシーンが二箇所あります。


罪の意識や言動の善悪に関係なく、暴力は必ず降りかかる。それに対抗する手段は、暴力しかない。道徳、法律、宗教、そんなものに救われるのを待つのはただの馬鹿だ。本当の意味でねじ伏せられ、痛めつけられた体験がないか、よっぽど鈍感か、勇気がないか、常識に飼い慣らされ諦めたか、どれかだ。
究極的には、自分を空腹に追いやったものを探して殺して食って飢えを満たすか、空腹を受け入れて死を待つか、どちらかしかないはずだ。一時的に飢えを満たしたとしても、いつかはまた腹が減ることもあるだろう。だが、際限がないと絶望するほどのことでもない。死んだら解放される。

どちらも生命と死に関する哲学的なテーマに対する回答であり、他の哲学的な模範解答と違って、人が生きていくうえでの救いを探そうとしていません。ここから、信之は津波という理不尽な暴力を目の当たりにすることで、個人的な幸不幸を塗りつぶすほどに、人生観が強烈に規定されていることがわかります。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


   - 「暴力」そのものであるということ

自分の破滅を当然のものとして受け入れながら、津波の後の島で誓った「美花と島を再建する」という幼い夢のために淡々と悪事を働いた信之は、最終的に家庭を捨てて美花のもとに辿り着きましたが、美花から捨てられ、一度捨てた家庭に戻ってきます。信之自身が「死ぬように生きる」と表現しているように、自身の人生を、死んで主張する価値もない存在であると考えていることがわかり、信之の闇の深さがうかがい知れます。信之が重大な秘密を抱えていることは信之の妻「南海子」の知るところとなりますが、南海子は自身の生活を守るため、その信之と暮らしていくことを選択します。そんな南海子の目に、信之が得体の知れなさを内包した存在に写っている様を、津波の被害を覆い隠して緑が生い茂る美浜島と信之を重ねて表現している結びの部分が非常に印象的です。


美浜島は、暴力の痕跡を内包したまま、禍々しいまでの生命力で海の上に再生していた。そこで生き、そこで死に、いまもそこにつながれているひとたちの、あらゆる慟哭を飲み込み、島は海中から身を起こす緑の巨人の背中のように、波間に厳然とあるのだった。
何食わぬ顔をして故郷に帰ってきたそれは、南海子のそばで息をひそめている。息をひそめて、待っている。再び首をもたげ、飲みつくし、すべてを薙ぎ払うときを。それから逃れられるものはだれもいない。

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

--『光』まとめ--

 

同じ経験をした美花、輔と、信之との違いはなんだったのでしょうか。津波前の島にいた信之は、セックスに夢中で、島の自然を愛しながらも島の閉鎖的体質を嫌うという特徴はありましたが、どちらかというとあまり主張のない、ぼんやりした人物として描かれています。輔が実父に虐待されている問題を解決しようと考えず、子供相手にエロ本やコンドームを売り小遣いを稼ぐ退廃の象徴のような老いた灯台守からコンドームを買って平然としているなど、ある意味白紙のような状態であった信之の人格が、津波がもたらした死そのもののような惨状に触れることで、「すべての人生に等しく死が訪れ、人生の目標を語る美辞麗句は死を一瞬忘れるための方便でしかない」という人生の目的の不在という問題に対する破滅的解答を強烈に記憶してしまったのだと思います。信之が確信した「人生の目的の不在という問題に対する破滅的解答」は一面の真理であり、信之が述べたように、人間が全員信之のようにならないのは、「常識に飼い慣らされ諦め」たからであって、常識の下で誰しも信之が感じた絶望に共感しうると思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 


 

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