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『喪男【モダン】の哲学史』本田透著

本読みました。

喪男【モダン】の哲学史』著本田透

 

以下感想です。

喪男とは何か

■哲学はドグマ化する

■二次元こそ真実

--『喪男【モダン】の哲学史』まとめ--

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喪男とは何か

タイトルにも使用されている喪男という言葉、これはインターネットスラングで「モテない男」という意味です。筆者は、女性にもてない男が承認欲求を満たせずに、社会の仕組みを考える方向に突っ走ってしまう衝動が哲学を生み出したと本書の前半で主張しています。しかし後半になると、承認欲求が満たされない場合はモテない場合だけではなく、望んでいる他者からの承認が得られないときに発生すると述べ、そういう意味では人間は多かれ少なかれ承認欲求不満足を感じていて、人間はみな喪男なのだという風に、喪男の範囲を規定し直しています。

 

人間が承認欲求の不満足を感じている点について、最近読んだ『「自分」を生きるための思想入門』という本で、人間の欲望は、食欲や睡眠欲のような身体的欠損を埋めるという役割だけではなく、より完全な状態を想像してそこに向かっていこうとする性質を持っているので、現状がそこそこ安定していていてもその中から何かしら不満足を見つけてくる、という意味の記載がありました。人間がより完全な状態を志向するというのはカントの人間観だそうですが、この主張は理解できます。

 

本書では、出発点は女性にモテないという不満足でしたが、後に人間が感じる不満足全般に対象を広げて、不満足に悩む哲学者たちが考え出した答え(答え未満のものも含みますが)を紹介する形式を取っています。


  - 喪男とは何か・まとめ

喪男とは、狭義には女性にモテない男性のことであるが、喪男の不満足感は人類全体が抱えがちなものなので、そういう意味では人類はみな喪男と悩みを共有しているといえる。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


■哲学はドグマ化する

先に述べたように承認欲求の不満足を解決することが哲学の目的だったのですが、その解決の過程でよく見られる失敗が「哲学のドグマ化」です。ドグマとは「教条主義」という意味で、つまり偉大な哲学者、たとえばブッダが承認欲求の不満足を解決する方法を見つけ、最初はブッダの教えに賛同する人たち(シンパ)が出てくるのですが、ブッダの死後、ブッダ自身がカリスマ化され、ブッダのシンパもブッダの教えを理解するのではなくブッダの人格を崇拝し始め、ブッダ自身が有名になっていっているにもかかわらずブッダの教えは失われるという現象の事を指しています。宗教や有力な学派でこういうことが起きます。また、ナチスは意図的に哲学のドグマ化を起こし、ヒトラーをカリスマ化することで独裁体制を確立しました。

 

スケールが大きい話で親近感が湧かなくなりがちですが、この哲学のドグマ化は、身近なところでも起こっていると思います。たとえば、友人関係においては、考え方が似通った人たちで徒党を組んで、考え方が合わない人を排斥しようとすると思いますが、これは、哲学のドグマ化が進んだ組織において、「三次元への復讐」が敢行されるのと似ています。キリスト教では十字軍、魔女狩りによる異教徒排斥の動きが起こりましたし、ナチスドイツではホロコーストによるユダヤ人排斥、優生学の考え方のもと遺伝的弱者の排斥が行われました。これらはいずれも、承認欲求をストレートに満たそうとした結果引き起こされた行動です。キリストの教えを信じている自分たちを相互に承認しようとすればするほど、キリストの教えを信じていない他人を承認しないようにするしかなくなってきます。また、上述のより完全な状態を目指す人間の性質から、他者承認欲求は本質的に満たされない性質をしているので、他者承認欲求は満たそうとしてはならない欲求であるといえると思います。


  - 哲学はドグマ化する・まとめ

★有力な哲学の元にシンパが集まると、相互に他者承認欲求を与え合うためにより遠い他者への排斥が始まる。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


■二次元こそ真実

本書では「二次元」という言葉は「精神世界」、「想像の世界」というような意味で使われています。これら精神世界、脳内の世界こそが世界の実体であり、実際に地面があって空気がある物質の世界(本書では「三次元」と呼ばれています)が付随的なものであるという主張がされています。

 

上記主張の論拠が二つあり、一つ目はカントのパラダイムシフトです。カントは、既存の二次元-三次元の対立構造から一歩進んで、三次元にはありのままの姿の「物自体の世界」としてのありようと、人間が観察した結果として生まれる「現象の世界」としてのありようが存在するというパラダイムシフトを起こしました。カントはさらに、人間が世界と関わるとき、どうしても観察するという方法を取らざるを得ない以上、人間が認識する世界は「現象の世界」であって、「物自体の世界」を認識することはできないとしています。

 

二つ目は脳科学の分野で行われた、リアリティの起源に関する考察です。てんかん患者の脳に電極を差して電流を流したとき、過去の記憶が鮮明なリアリティを伴って想起された報告を元に、茂木健一郎氏は「リアリティの起源はニューロン活動である」と結論付けました。三次元世界が二次元世界に比べて優れているところは、情報量が多く、それゆえに人間の脳にリアリティを与えやすいのですが、逆に想像と現実の差は、その情報量の違いでしかないということです。

 

この二者(カントの三次元観、リアリティの起源)をもって、三次元が真実ではなく、また三次元と二次元の本質的な差異はないので、二次元に生きることは肯定されるべきであると本書は述べています。


  - 二次元こそ真実・まとめ

★三次元と二次元の本質的な差異はない

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--『喪男【モダン】の哲学史』まとめ--

 

本書の哲学のドグマ化に関する考察と、承認欲求の不満足が哲学、芸術そのほか各分野の原動力になるという主張は、理解しやすく、共感できます。ただ終わり方が無責任すぎると感じました。二次元世界の妄想が全肯定されるべきだと主張したところで、二次元世界が三次元世界に比べてリアリティを欠いていて、それは二次元世界で妄想する喪男だって実感として理解していることだろうし、だとすると二次元における妄想で喪男が救われることは難しいままだと思います。二次元における妄想を極めて、本書で紹介されているような文学者や芸術家になる人もいないわけではないでしょうが、それも全体から見ると一握りでしょうし、承認欲求を満たすための差別と排斥行為がマクロ・ミクロの両スコープで繰り広げられている現状も変わりません。というかそもそも喪男なら二次元における妄想による自己救済なんて自主的に一通りやってるんじゃないでしょうか。本書が喪男救済を銘打っていないことが唯一の救いだと思います。「問題点を列挙しただけで、解決するとは言ってない」という逃げを打てるからです。

 

そうやって作者側のつじつまが合ったところで、本書を読んで本書に共感した喪男(あるいは本書は喪男の範囲を全人類に拡大しているので、喪男でなくても共感する人がいる可能性は十分あります)が救われなければならない現状は何も変わらないので、本書の次に読むべき本が必要になると思います。私個人の考えとしては、本書に共感した人が次に読むべき本は、「引き寄せの法則」関連の本だと思います。

 

引き寄せの法則関連の本については、いずれ紹介したいと思いますが、方向性としては、「頭で考えたこと(状況、物質、感情)が現実にも出現する」というものです。本書が最終的に打ち出した方向性である「二次元こそ真実」という命題にかなり近く、それでいてその先の展望を望める格好になっていることがわかると思います。

 

そんな風に無責任な部分もありますが、難解になりがちな哲学者の考え方を分かりやすく紹介していて、現実で陥りやすい承認欲求の不満足の問題にも触れられているので、三次元こそが現実で、救いがないと悩んでいる人が考え方を変えるときにはちょうど良い本だと思います。

 

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