『佐藤富雄の「ツキ」の法則!』佐藤富雄著
>楽天思考
夢や希望を実現していくプロセスで一番重要なことは、「心を楽天的に、快に保つ」ということです。「快」は、脳の自動目的達成装置をONにします。全細胞を喜ばせ、はつらつとした体の代謝リズムをもたらします。結果的に、大きなことを容易になし遂げてしまうケースが多いのです。そしてもうひとつ、「夢を思い描くなら、できるだけ大きな考え方をしたほうがいい」ということです。
…(略)…
夢が大きすぎて困るということはありません。なぜなら、人は実現不可能な夢は決して持てないからです。
楽天家と言われる人々は、明るく、やさしく、陽気な笑いに満ちています。不安や後悔を寄せつけません。そして、数えきれないほどの夢と希望を持っています。また、感受性が豊かで、質の高い音楽や文学に親しんでいます。そのため語彙が豊かで、他人に対していい言葉遣いで接することが上手です。他人の楽天的な夢や希望を聞くことも大好きです。要するに、ひとことで言って、心が「快」なのです。
[法則1]自分に起きることは、いかなることも自分にプラスになることである。
[法則2]自分に起きることは、いかなることでも自分で解決できることである(自分に解決できないことは、自分には起きない)。
[法則3]自分に起きた問題の解決策は、途方もない方角からやってくる(だから、今お手上げ状態でも決してめげてはならない)。
この楽天思考というのも、あるレベルの具体的行動の指針だと思います。状況を良くしたいと思っている人にとって、何か特定の状況にぶつかったときに思考する内容について、楽天思考が良いということを言っているわけで、そのように思考すればこの忠告を遂行したことになると思います。
しかし思考という抽象的なものを意のままにすることを説いているわけで、この忠告は難易度が高いです。この難易度を下げる試みがこの後に出てくる口癖なわけですが、実行困難な抽象度が高い指針ほど、より具体的な実行が容易に分解された下位の指針の中にある信念をより濃く含むということは言えると思います。これは具体的な手法のところで後述します。
>具体的手法
何も心配しないで、毎朝「今日は最高の一日になるぞ、ものすごくいい予感がする」と言い続けてください。やがて、無意識のうちに言葉が出てくるようになります。継続は力なり、です。言葉を脳に刻みこむ、新しい神経回路をつくる、体質化する、こういうプロセスを経て、スラスラと言葉が出てくるようになります。さらに感情をこめて言えるようになると、脳が望みを実現する力は何倍にもアップします。繰り返し述べますが、実際にいい予感があるか、ないか、それは大した問題ではありません。「いい予感がする」と声に出して言い、脳にもそれを聞かせます。すると、言った本人がそれを忘れてしまっても、脳は「いい予感とは何のことだろう」と考え続け、いい出来事を探し続けてくれるのです。
最初のひとことが脳を支配します。どんな場合にも、第一声は「これでいい」という言葉を発してください。すると、脳は「大丈夫なのだ」と理解し、「これでいい理由」や「うまくいく方法」を次々と見つけ出してきます。たとえ「困難」と思われる条件があったとしても、そんなことには目もくれません。できるほうのデータばかりを収集し、何とかよい結果を生み出す方向へと向かって動いていき、「やはりこれでよかったのだ」という結論に導いてくれます。
後の引用の、脳が理解して理由をいくつも見つけ出してくる、という脳の働きは何の準備もなくこの場で今すぐにでも再現できて面白いです。
それはさておき、これらより具体的な行動の指針は、先に述べたより抽象的な信念と結びついています。具体と抽象を両極とする価値尺度の橋によって。いい予感がないのに、いい予感がすると言うこと、条件を精査する前に、「これでいい」と発話すること、これらはすべて、先の楽天思考の精神を具体的行動に落としたものなわけです。ここで再抽象化をしてわかることは、楽天思考の発端は、何もない所からの楽天思考だということだと思います。「最初の一言が脳を支配する」わけです。初動に支配された自分が、どうしようもなく状況を台無しにしたり、逆に困難を軽々と飛び越えていくことは、誰でも経験したことがあると思います。人間の自由意思というものが最も高い濃度で介在するのは初動なわけです。だから、意志は状況の途中でなく、初動に注ぐべきだということを本書は言っているのだと思います。具体的には朝の様な物理的に一日の最初に位置している瞬間だったり、退屈を感じて意志が倦み始めた「悪い方に転がりかけた瞬間」のような、意味的な最初の瞬間だったりするわけです。
いい口ぐせは、すべて現在形で語ってください。「いつか、そのうち」と未来形で語るのではなく、「今、最高だ」と言いきってください。
これも甚だしく楽天思考の精神を表現することばで、この通り楽天思考は原理的に論理的でないものです。事実に立脚していない。語る言葉が正しくなくてもよい、ということを言っているので、そういう話なわけです。このことを根本的な部分までさかのぼって考えると、事実とは何かという問題が出てきます。我々が好ましいと考える状態に反対しているように思われる、事実とは何か。これは、人間の認識や価値判断が介在する前の純粋な状況の部分と、人間の認識、判断の混合物です。後半の自分の認識や判断に逆らって、好ましい状態が目の前にある、と言い切ることは、脳にある種の混乱をもたらします。すなわち、自分の認識や判断が間違っていたかもしれないという疑念が生じ、認識や価値判断以前の純粋な状況に立ち戻って、状況を再精査する、という動きをもたらしますし、自分が発話するという体験が、より劇的なものであればあるほど、その働きも顕著でしょう。
先ほど確かに事実の一部と思われたものが、この発言一つで変わるということは、確かにあるわけで、そのための具体的方法論が、ここで紹介しているようなことです。つまり最初の一言の話だったり、いい予感がないのに、いい予感がする、という事だったり、今、最高の状態にある、と認識に逆らって発話することです。