join the にほんブログ村 小説ブログへ follow us in feedly

『朗読者』ベルンハルト・シュリンク著、松永美穂訳

■要するに

少年である主人公が、年上の女性「ハンナ」と行きずりの肉体関係を持ち、彼女との生活の幸福、その破綻が主人公の心象に拭い難い強烈な印象を残す話です。これだけだと悲恋風の普通の恋愛小説なのですが、この作品では主人公とハンナを媒介する要素として「ナチ政権」が出てきます。主人公は戦後のナチ政権をめぐる裁判を通してハンナと再会することになりますが、その再会の経緯がこの作品に独特なカラーを与えていると思います。

f:id:zizamo2193:20170110135038p:plain

戦争が深い影を落とす悲恋

 

 

■彼女との生活の幸福とその破綻

彼女はポーズもとらなかったし、媚びたりもしなかった。そんなことを一度でもしたことがあったかさえ、思い出せない。彼女の肉体やその態度、動作は、時には鈍重な印象を僕の記憶に残した。彼女がそんなに重たかったというわけではない。むしろ彼女は内側からきゅっと引っ張られているかのように、ひきしまって見えたし、体をあるがまま、脳の命令には邪魔されない穏やかなリズムに委ねて、外部の世界を忘れているようにも見えた。そんなふうな没我の境地が、ストッキングをはいている彼女の態度にも表れていたのだ。その時の彼女は鈍重などではなく、流れるように優雅で、魅惑的だった。乳房や尻といったたぐいの誘惑ではなく、この体の中で世界を忘れなさいと僕を招いていた。

これは主人公が、愛人である「ハンナ」のストッキングを履く姿に見とれてしまった経験を振り返って考察した箇所です。ハンナがただ性欲を刺激するだけの女性ではなく、その存在があるがままであり、それゆえに主人公に強烈な印象を残したことが読み取れます。

黙殺というのは、数ある裏切りのヴァリエーションの中では、あまり目立たないかもしれない。外から見るかぎり、黙殺なのか、謙遜なのか、配慮しているのか、気まずさや立腹を避けているだけなのかわからないだろう。しかし、黙り続けている当人は、はっきりとその理由を知っている。そして、この黙殺行為は、派手な裏切りと同じくらい、二人の関係の基礎を揺るがすものなのだ。

こちらは彼女の奔放さに振り回されて疲弊し、彼女を裏切り始めてしまった主人公の述懐からの引用です。黙殺という自身の行為は外から見ると正当な行為とも取れるだけに、自分をもだますことのできる行為であると言えます。しかし主人公は自身の黙殺という行為の動機を明確に認識し、ごまかそうとはしません。主人公の内省的で自罰的な性格がよく出ていると思います。

 

戦争犯罪裁判での彼女との再会

主人公はハンナとの別離ののちに、戦争犯罪の裁判にかかわる機会を持ち、そこで裁判の傍聴者の主人公と、裁判の被告のハンナという立場で再会します。その裁判により、主人公のハンナとの美しい思い出は、裁判のグロテスクな内容に引きずられ、「解体され」、変容を遂げます。

台所でストッキングをはいているハンナ、浴槽の前でバスタオルを広げているハンナ、スカートを風になびかせて自転車をこぐハンナ、父の仕事部屋に立っているハンナ、鏡の前で踊るハンナ、プールでぼくの方を見ていたハンナ。ぼくの声に耳を傾け、僕に話しかけ、笑いかけ、僕を愛してくれるハンナ。光景がまじりあってしまうと悲惨だった。冷たい目と細く結んだ唇でぼくを愛するハンナ。無言でぼくの朗読に聞き入り、しまいに手で壁を叩くハンナ。ぼくに話しかけ、顔を醜くゆがめるハンナ。…(中略)…それらの光景は強大な力を持っていた。それらの光景はハンナについてのぼくの記憶を解体してしまい、頭の中の収容所の世界と結びつけた。

昔の美しい思い出が予期せぬ再開によって変容してしまうということはよくあることです。いわゆる「百年の恋も冷める」というやつですが、主人公にとってのハンナは、冷めたからと言って容易に諦めきれるほどの存在でなく、またその冷め具合もハンナが収容所で残虐な行為にかかわっていたというショッキングなもの(空想ですが)で、その落差の強烈さが想像されます。

彼女との再会は主人公に、ハンナを思い出させ、そのことは主人公の人生に影響を与えます。

ぼくは、ゲルトルートと一緒に過ごす時間を、ハンナと一緒に過ごした時間と比べられずにはいられなかった。ゲルトルートと抱き合っているときも、何かが違う、彼女ではない、彼女のさわり方、感じ方、匂い、味、全てが間違っていると思わずにいられなかった。ぼくはハンナから解放されたかった。しかし、何かが違うという思いは、決して消えることはなかった。

ユリアが五歳の時、僕たちは離婚した。

ハンナの思い出が現在の現実の夫婦生活に影を落とし、それを破綻させてしまいます。しかしそんなことがあっても主人公は、(二人の娘であるユリアに温かい家庭を与えてあげられなかったことには心残りがあると明言していますが)結婚生活の破綻自体にはあまり未練を持っているようには見えません。結婚とか愛の話になると、主人公が思い出すのはまずハンナのことであり、ハンナとの思い出なのです。この意味で、結婚生活へのハンナの影響は多大ではありますが、しかし同時に些末なことだと言えると思います。

f:id:zizamo2193:20171014145955p:plain

重大で些末な結婚生活の破綻 

■服役中の彼女との交際

服役するハンナに主人公は朗読のカセットを送り、ハンナは主人公に手紙を書くようになり、ハンナと主人公の「近くて遠い」交際が始まります。朗読のテープを送ろうと思ったきっかけのシーン、

ぼくは結婚のこと、娘のこと、人生のことを考えた。混乱し、思い出や夢が混入し、苦しい悪循環を繰り返す夢うつつのぼくの思考でもハンナが中心的役割を演じていたので、僕はハンナのために読んだ。ぼくは朗読をハンナのためにカセットに吹き込んだのだ。

ハンナからの手紙を受け取るシーン、ハンナとの手紙のやり取りが進んで、ハンナの字がうまくなっていくシーン、

あっちこっちへそれたがる子どもの手は、文字のきまりのなかにとじこめておかなければいけない。しかし、ハンナの手はどこへも行きたがっておらず、無理やり前へ進ませなければならなかった。…(中略)…どの文字も、新たな戦いの成果であり、規格外の斜線や急カーブがくっついていたし、しばしば長すぎたり幅が広すぎたりした。

ぼくはハンナの手紙を読んだ。そして、歓喜に満たされた。

「彼女は書ける、書けるようになったんだ!」

彼女からの手紙は全部とっておいた。筆跡は変わっていった。最初、彼女は文字を同じ方向にそろえ、正しい長さや幅にしようと奮闘していた。それができるようになってからは、筆跡も軽く、確かなものになっていった。しかし、流れるような筆跡になることはなかった。しかし、生涯にそれほど多くの文字を書かなかった年配者たちの筆跡にふさわしい、ある種の厳しい美しさがその筆跡にはあった。

これらのシーンから、彼女との現実の交際の、美しい部分の象徴ともいえる朗読という手段によって、その彼女との交際の美しい部分のような関係性が戻ってきている様がわかり、感動的です。そしてその感動的で静謐な関係が、ハンナの自殺によって終わり、ハンナの独房に案内されるシーンで初めてハンナの感情らしい感情が明かされます。ハンナの刑務所内の態度を示す刑務所長のセリフ、

彼女はあなたから手紙がいただけることを期待していたんです。彼女に何か送って下さるのはあなただけでした。郵便物が送られるとき、彼女は『私への手紙はありませんか?』と尋ねたものでした。彼女の言う『手紙』は、カセットのはいっている小包のことではありませんでした。どうしてあなたは彼女にお書きにならなかったんですか?

ハンナの独房のシーン、

ベッドの上にはたくさんの絵や紙切れがぶら下がっていた。ベッドに膝をついて読んでみると、引用や、詩や、ちょっとしたお知らせや、ハンナが書き留めた料理のレシピ、新聞や雑誌から切り取った絵などだった。「春には青いリボンをまた風になびかせる」とか、「雲の影が畑の上を逃げていく」など、詩はどれも自然についての喜びやあこがれに満ちていた。絵には明るい春の森とか、花で彩られた牧草地、秋の木の葉や一本一本の木々、小川のほとりの柳や、熟れた赤い実をつけた桜の木、秋らしく黄色やオレンジの炎の色に染まった栗の木などが描かれていた。新聞の写真には黒い背広を着た年配の男と若者が写っていて、互いに握手しあっていた。年輩の男の前でお辞儀している若者はぼくだった。ぼくはギムナジウム卒業試験に合格し、卒業式の際に好調から何かの賞を贈られたのだ。それはハンナがぼくたちの町を去ってからずっとあとのことだった。字の読めない彼女が、この写真の載っていた地方新聞を定期購読していたのだろうか?いずれにしても、この写真のことを聞きつけ、手に入れるまでには、面倒な手続きがあったに違いない。裁判のあいだも、彼女はこの写真を持っていたのだろうか、身近においていたのだろうか?僕はまた胸と喉に涙が込み上げてくるのを感じた。

これらのシーンで初めて、現実には弱さを示さなかったハンナ(主人公への強硬な態度、裁判の際の毅然とした態度)の、主人公に対する恋慕の情が明かされます。その深さ、一途さと、それらがハンナの死によって永遠に失われてしまったことが圧倒的な切なさです。

 

■結局

この作品は、ナチ政権の戦争裁判や、主人公の生業である法史学の考察が出て来はしますが、それらの大掛かりな小道具を使った悲恋の物語だと思います。

 

 

紹介したのはこの作品です。