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誰に育ててもらってると思ってるんだ

先日、興味深いまとめを見ました。

子供の頃親と喧嘩してると良く「誰に食わせてもらってんだ!」とか「誰に学費払ってもらってんだ」言われたけどさ - アルファルファモザイク

 

■あらすじ

 

ざっくりいうと、タイトルの言葉を親から投げかけられて嫌な思いがしたし、親としてこれは言っちゃいけないだろうという1にみんなが同意する話です。こういう言い方で議論を終わらせてしまうと子供の方に納得がなく、親に対する不信感が募ると思いますが、タイトルの発言はどういう気持ちで発されるのでしょうか。そこのところを考えてみようと思います。

 

 

■事実

 

この問題を考えるときに、例えば、親は養育費、学費、手間賃込みで年間100万円かけてるとしたら、子は経済的に独立してないために、この親の出費100万円を使って生活せざるを得ないというところまでは事実として言えると思います。より親の目線で考えると、100万円を出費して「自分の子供が元気に暮らしている状態」を買っているということができます。この出費100万円に対する親の見解はどうでしょうか。つまりこの100万円の出費を高いと思うか安いと思うかという問題についてです。この両方についてみていきましょう。

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■見解1_100万円を高いと感じる

この見解は、「自分の子供が元気に暮らしている状態」に100万円の価値はないと考える態度ということができます。仮に「自分の子供が元気に暮らしている状態」に50万円の価値しかないと感じているとすると、100万の出費をして50万円の価値を買っているわけですから、50万円の赤字です。しかし世のなかでは一般的に子供を持つことは喜びに満ちていると言われていますし、育児の際にかかる費用や労力は所与のものとして決まっています。どちらも固定の価値なわけです。

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きっとこの親は、この出費と対価の不均衡を解決しようとして、子供が元気に50万円、子供が尊敬してくれていい気持ちにしてくれる、子供が従順に言うことを聞いてくれるに50万円使った、と考えると思います。

 

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これが私の考える「誰に育ててもらってると思ってるんだ(=育ててあげてるんだから言うことを聞け、100万円払ったんだから元気に暮らす50万と言うことを聞く50万両方寄越せ)」と言う発言が生まれる背景です。

 

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■見解2_100万円を安いと感じる

逆に「自分の子供が元気に暮らしている状態」に200万円の価値があると考える態度の場合、この問題はどうなるでしょうか。この場合は100万円の黒字です。この際得した金額はどうでもよくて、重要なのは

100万円の出費は子供が元気に生きている時点で折り合いがついていること

です。こういう親からは、「誰に育ててもらってると思ってるんだ」という発言は出てこないでしょう。育ててあげたことに対する子供のお返しは「元気に育ってあげたこと」、これでこの話には決着がつくはずです。もしこの後親子間で何かしらの係争が発生したとしても、それはその時別個に解決すべき問題であって、育ててあげた-育ってあげた関係が再び蒸し返されるのは筋違いというものです。

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--「誰に育ててもらってると思ってるんだ」まとめ--

 

誰に育ててもらってると思ってるんだ、という発言は、育ててあげたことに対する対価が十分に支払われていないという不満から発せられる発言である。

 

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