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重松清という作家について

考察

考察しました。

 

構成は以下の通りです。

■きっかけ

重松清氏の創作の特徴

■教育途上の読者への影響

■創作と現実の違い

--まとめ--

 

■きっかけ

 

重松清氏の作品を多く読んでいたことをふと思い出しました。割と機嫌よく読ませていただいていたのですが、ある時を境に読まなくなってしまいました。これは、明確にどの作品が気に入らなかったからとかいう事ではなく、全体的に読後感が悪く感じたからです。感動して落涙の体で読み終わった作品も後々考えてみるとどうも読後感が悪い。これはどういうことなのかを考察してみました。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

重松清氏の創作の特徴

 

重松氏の話は基本的に、生きにくい困難な日常と、その日常の前向きな解釈の話です。各人が前向きに解釈して生きていく様は感動的で、各人が前向きに解釈するときの情景、心情、そのほかの描写の巧みさは重松清氏の真骨頂と言っていいと思います。問題はこの彼の情感豊かな筆致が、困難な日常生活の描写にも発揮されてしまっている点です。作品の核心でありクライマックスである前向きな解釈を際立たせるために、日常は困難であることは、作品の演出上必要なのですが、それにしても陰鬱に過ぎ、読後も尾を引くレベルです。

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作品の前向きな部分を際立たせるための陰鬱な日常描写がえぐすぎる

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■教育途上の読者への影響

 

重松清氏と言えば、ご自身も教育学部を卒業され、教育に高い関心を持っておられます。同氏の作品はしばしば中学、高校の現代文の教材に用いられますし、私が学生の頃は推薦図書にも選ばれていた記憶があります。私も中学生のころから同氏の作品を読んできたのですが、教育途上にある子供(小学校高学年~高校卒業までの学生)が先に述べた特徴を有する本を読むとどうなるでしょうか。前向きな解釈の必要性を学ぶことはできるでしょう。しかしそれとともに日常は困難であると錯覚してしまうと思います。私も最初に同氏の作品を読んだとき、悲惨ないじめや家庭内の不和、くたびれた中年サラリーマンの哀愁などの困難な日常のありように軽いトラウマを覚えた記憶があります。高校を卒業していない段階の子供の世界というのはごく狭いものです。給食を残してしまったことに落ち込んだり、いじめを苦に自殺したり、そのレベルです。社会に出ればそれらのことは何度だってやり直しがきくし、気にすることではないとわかりますが、学校という世界しか経験していない彼らがそれを理解することは困難です。彼らにとって全世界は学校であり、全人生は学校ですので、クラスメートからの拒絶は全世界からの拒絶、学校での失敗は人生の大失敗ということになります。そんな彼らにとって、小説のような創作物は、彼らが学校の外の世界に触れ、そこでの人々の暮らしを想像するための情報源という役割を帯びています。作品の演出上の必要性からとはいえ、教育途上にある子供にえぐすぎる陰鬱な日常描写を与えるというのはプラスに作用しないと思います。

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教育途上の子供たちにとって、創作物は現実社会を想像する材料になりうる

 

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■創作と現実の違い

 

創作ではラストで登場人物が自身の人生を肯定的に解釈できてラスト、となって終わりならば大団円ですが、実際の生活はそうはいきません。刹那的に人生を肯定できたとしても、そこに至るまでの膨大な不幸な日常は慰められないし、あるいは将来にわたって人生を肯定する生活態度に資するとも限りません。というのも、創作で描かれる人生の肯定は、非日常、祝祭に属するもので、実際の人生の大部分を占めているのは、それとは対極にある日常の部分であって、それは創作内で陰鬱なものとして描かれた部分のことです。小説の中で大団円を作った瞬間最大風速的な人生の肯定は、現実の中では素晴らしい一日として記憶に残ることになりますが、それとは無関係に明日以降も続く日常の閉塞感は依然として存在するということです。

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創作の大団円が日常生活の幸福に寄与するとは限らない

 

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--まとめ--

 

結局、重松清氏の作品の読後感の悪さの原因は、同氏の描く日常があまりに救いがなく、破滅的、倦怠的で、創作の中で祝祭によって救われた後も現実問題としてその日常生活が続いて行ってしまうことがわかるからです。

 

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■関連する作品

 

重松氏の作品で最初に読んだのは、「きよしこ」でした。これは同氏の幼少期の体験を踏まえて書かれた私小説的な作品で、吃音を患う「きよし」の幼少から青年期までの成長を描く作品です。先述のとおり困難な世界観を有する作品ですが、きよしと作中の登場人物のつながりが温かく描かれた作品でした。

 

 

他にも変わり種的な作品として印象的なのは「愛妻日記」です。これは家族を題材とする同氏が家族の性生活の問題に官能小説という表現方法を以て切り込んだ問題作で、批判もすさまじかったそうです。「子供に読ませられない」等の批判が教育に熱心な保護者から寄せられたそうですが、私に言わせればそんなものは笑止の論で、この作品に限らず重松氏の作品は一貫して子供に読ませられないものか、あるいは読ませるのに慎重になるべきものだと思います。

 

 

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