『クドリャフカの順番』米澤穂信著 感想(2/2)
本読みました。
本記事は前の記事の続きです。前記事↓
『クドリャフカの順番』米澤穂信著(1/2) - H * O * N
以下感想です。
■本作のテーマ
■福部里志の期待
■大河内先輩の期待
■田名辺治朗の期待
--『クドリャフカの順番』まとめ--
■田名辺治朗の期待
彼は、名作「夕べには骸に」の作成に背景担当として携わりながら、作画担当であり友人でもある「陸山」に期待を寄せていました。この期待が、今作の目玉となる事件を引き起こすのですが、結局彼の期待は満たされませんでした。彼が自身の才能を諦念してまで活躍を祈った「陸山」にとって、漫画は所詮遊びであり、彼が再び筆を握ることはなかったのでした。諦念の後に期待が発生するとして、その期待が裏切られる可能性があるというのは当然です。凡人の期待が生んだ事件を、天才の折木が解決に導く、ある意味引導を渡したわけで、この構成も期待が裏切られる宿命を背負っているということを示していると思います。
勿体ないだろ。惜しいと思うだろ?洒落にならんね、こっちが望んでも得られない実力を持ってて、競い合いする気にもならないほど差が開いてるのに、ムネは全然描こうとしない。
期待は裏切られる
--『クドリャフカの順番』まとめ--
- 期待ということについて
自身の能力への諦念と天才への期待は三者三様のリアクションを生んでいます。自分の敗北を認めながらも時々挑戦し、打ちのめされて敗北感を深くする福部、敗北そのものを認めないことで夢への情熱を何とか持ちこたえさせる大河内先輩、期待が裏切られ自身の才能への諦念とはまた別の失望を味わう田名辺ですが、一番印象的だったのは、大河内先輩の態度でした。暴論は理に適っていませんし、名作を頑なに読まないようにする不条理さはありますが、その不合理さがかえって、自分の夢に対する情熱のひたむきさを感じさせ、胸を打ちます。
漫画を描く楽しさだけでずっと漫画を描いていられたら、こんな楽しいことはありません。しかしやはりいつかどこかで、自分の才能を周りと比べたり、自分の才能の限界を感じたりということが出てくると思います。そういう当たり前の挫折を不器用ながらも必死に乗り越えようとしている様がカッコイイと思いました。
せめて自分の一番好きなことに対してぐらいは、福部や田名辺のように諦めから他の人に期待するのではなく、大河内先輩のように理非を曲げてでも自分の思うようにやった方が後悔が少ないと思いました。
大河内先輩の頑なに負けを認めない不屈の闘志がカッコイイ
- 作品について
この作品の素晴らしいところは、この凡人の苦悩という挫折と諦めに満ちたアンニュイでビターな問題を、文化祭という祝祭の中で描くことで、登場人物の挫折と諦めの心内描写が場面の雰囲気との対比で見事に引き立っている点です。自身の主観と状況の不一致が美しい情景として思い出される様はある種のノスタルジーをも感じさせる素晴らしい作品です。