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『城』フランツ・カフカ著

■あらすじ・みどころ

 

測量士として仕事を依頼されやってきた「K」が、当地の決まりや手続きに翻弄されて、ついに職務に就けずに、測量士としての本領を発揮できない話です。測量士として働こうとする中でKは、依頼者である『城』との交渉を絶えず試みますが、城はその複雑な行政機構から多くの代弁者、使者を抱え、Kの交渉は遅々として前に進みません。Kが非凡な熱意をもって城と意思疎通をはかろうとする様子と、いかにしても手の届かない城側の曖昧模糊な受け答えがこの作品の見どころだと思います。例えば、Kは測量士としてこの地に派遣されますが、直接の上司である村長に掛け合うと、測量士は不要であるとの回答を受け、憤慨して村長宅を辞したKのところに、学校の小間使いとしてなら雇ってもいいという通達が来るシーンはその最たるもので、村長の複雑で長い説明と、通達に来る使者である学校の教師のムカツク物言いが非常にエキサイティングだと思います。

 

異邦の地で職を得たいKが本領を発揮できない

お役所仕事的なたらい回しと冗長な処理

 

 

Kは当地では常によそ者として扱われ、通常より一つ下の扱いを受けることになります。また城から助手、連絡係として寄越される人間は無能で、みかけだおしで、いらいらさせる性格です。

 

これはわたしには不可解なことなのですが、他国から来たばかりの人のくせして、たとえばソルディーニに電話をかけて、向こうで返事をしているのがほんとうにソルディーニであるなどと、どうして信じられるのでしょうかね

―――Kへの村長の言葉より

平和な時にはこの男の上着は美しく輝いているのに、いざというときになると、なんの助けにもなってくれないばかりか、もの言わぬ障害物でしかないことも、Kには悲しかった。しかも、この障害物を相手にしては、戦うこともできない。というのは、バルナバス自身が全く無防備だからである。彼の微笑だけは、明るくかがやいているが、それとても、天上にきらめく星が地上の嵐をどうすることもできないのと同じように、なんの役にもたたなかった。

―――城からKへの使者、バルナバスに関する描写

 

またKの職も、当初測量士として招聘されながら、測量士希望→学校の小間使い→酒場の女中部屋の居候と残念過ぎる末路を辿ります。絶えず拒絶され冷遇されながらも反骨精神と慇懃無礼ぶりを失わないKの態度に元気がもらえる作品だと思います。

 

冷遇と凋落、無能な部下という孤立無援な状況に立ち向かうK

 

■訳者、前田敬作氏の解釈

訳者あとがきのなかに非常に作品理解の参考になる記載がありました。それによれば、

 

カフカは、あるアフォリズムのなかで、存在するとはたんに「そこに在る」ということだけでなく、同時に「そこに属する」ことを意味する、と書いている

Kの唯一の行為は、城の掟に関する解釈と理解の試みだけである。つまり、異邦人は、合理的理解という道を通って律法に近づこうとする。しかし、その世界に通用する生きるうえでの習慣的な約束である律法は、決して合理的普遍妥当的なものでないから、「異邦人の合理主義」は、それを不合理の体系として見出す。彼の合理的理解が正確になり、徹底的になればなるほど、律法は、城は、彼から遠ざかっていくのである。

つまり、城との平行線のやり取りや、城による理不尽な扱いは、城というコミュニティに属そうとして、城のルールを自身の考える合理的な方法で理解しようとする試みであるということができると思います。あとがきの記載を読むと、本書で取り扱われているテーマがずいぶん普遍的なものであることに気づきました。何か新しいコミュニティや人間関係に入って行ったときに、その既存の関係性の理不尽な点や不合理な点を見つけたり、対立してしまったりした経験は誰にでもあると思います。本書が扱っている問題もそういう性格のもので、城の曖昧模糊で冗長な説明は、そういうご当地ルールを自分の価値観で見た時の非論理性、滑稽さを拡大して描写したものであると言えます。城に対して頑張るKに共感を覚えるのも、自分の人生で理不尽さを経験した時の記憶、言えなかった不満といったものが刺激されてのことだと思います。

 

城に対して頑張るKに、社会や組織へなじまなかった経験から共感

 

■結局

この作品は、

異邦の地の掟を、自身の価値観で理解しようとする試みとその挫折の物語

であると思います。