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『清兵衛と瓢箪・網走まで』志賀直哉著 より『濁った頭』 感想

本読みました。

清兵衛と瓢箪・網走まで』志賀直哉著 より『濁った頭』

 

以下感想です。

■あらすじ

■作者の精神状況

■金魚の描写

■崖を登る描写

--『濁った頭』まとめ--

 

■あらすじ

 

語り手である津田は、キリスト教を信仰しながら、その教義の中にある「汝姦淫する勿れ」の教えになじまず、最初は姦淫とは何かを問う小説を書いたりしてささやかな抵抗を試みます。そして津田の家に居候することになった寡婦「お夏」とはずみで肉体関係を持ち、駆け落ちし、その道中各地の宿を転々としながら、自分とお夏の精神に異常を来たしてしまいます。錯乱した精神状態の中お夏を殺し、逃亡中に行き倒れ精神病院にいたるという話です。

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キリスト教徒津田、姦淫する勿れに反発

お夏と勢いで肉体関係、駆け落ち

錯乱した精神でお夏を殺害、行き倒れて入院

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■作者の精神状況

 

下記サイトにて、志賀直哉の執筆当時の精神状態に関する記載があります。

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/hpohta/fl-siganaoya/siga01-kunou.htm

 

それによると、直哉のこの頃は、精神状態が異常(不安神経症、または抑うつ神経症などが疑われる)であり、直哉自身が、他人(特に不和であった父)を殺すことになりはしないかと、自我が暴走して自己の意志では止められない恐れを抱いていたようです。この精神状況は、本作『濁った頭』(二十八歳)、のほかに、『范の犯罪』(三十歳)、『児を盗む話』(三十一歳)などに見られます。

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本作は、自我の制御不能なレベルの暴走に対する危惧から生まれた

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■金魚の描写

 

作品の解説は下記サイトを参考にしています。

http://ir.lib.pccu.edu.tw/retrieve/48762/gsweb4.pdf

 

お夏と勢いで肉体関係を持った翌朝、後悔の念を持って庭を散策している津田は、瓶の金魚を観察し、えさをやります。

 

ぼんやり瓶の縁へ手をついて中を見てみると、夏の初めに買って来た時、真黒かった錦魚で背中のほうからまばらにはげて黄色くなりかけたのや、体外は赤くなって只腹の所だけが僅に黒く残ってるのなどがある

 

薔薇の挿し木を作った仕立鉢を一つ一つ丁寧に上げては蚯蚓を取って、それを入れてやりました。一口には飲み込めませんから口に入れては、吐き出し、吐き出ししては又呑みして騒いでいます。

 

これは、お夏との関係が生じた事で内部に<罪>を「呑み込ん」でしまった自らの姿を津田が重ね合わせている描写です。金魚は、そのまま彼自身の戯画像として、醜い変容した姿で描かれています。

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蚯蚓を飲んだり吐き出したりしている醜い描写に、罪を犯し飲み込んだ自身の姿を重ねる

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■崖を登る描写

 

お夏を殺害し、逃避行を計る津田が、錯乱した精神の中で崖を登っているとき、崖の上からお世話になった土村先生に見下ろされる箇所があります。

 

不図上を見ると、其処に洋服を着た大きな人が立っています。色々な意味で久しい間、お世話になった土村先生です。濃い眉の下に落ち窪んだ、力のある眼で黙って私を見下しておられる。私はぞっとしました。

 

崖を登る津田と、彼を見下ろす土村先生という位置関係は、<罪>からの遁走を試みる津田と、彼の<罪>に対する裁断者、処罰者としての土村先生の対比です。この場面は津田の内心で自分の犯罪を認めた象徴と読み取ることができます。

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お世話になったキリスト教牧師先生に見下されている描写は、自信が罪を犯したことを自覚したことの象徴

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--『濁った頭』まとめ--

 

この作品は著者の異常な精神状態を反映する形で書かれたものです。お夏の殺害についても、錐で刺して殺したのかと思えば、その述懐の後に、お夏は旅先の売店の店員で、口論から殺害に発展したという荒唐無稽な内容の述懐も津田自身の口から語られ、精神の錯乱により事実関係すらも曖昧なような有様です。又津田もお夏を憎んでいるといいながら、最後にはお夏を深く愛していると述懐し、離れてしまったお夏の心を引き戻そうと腐心したり、突然恐怖に駆られお夏を殴打したりと感情の振れ幅が大きいです。このあたりに精神の異常性がよく現れていると思いました。

 

前の『剃刀』でもそうでしたが、こういう作者の精神異常を描いた作品は、志賀直哉の軌跡という意味では文学的研究の対象にはなるでしょうが、これを読んでその精神異常に共感するところの少ない人間が、特別の感慨を覚えたり、何か人生観に訴えられるものを得るという性質のものではないように思いました。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

この短編が読めるのは下記の本です。

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)