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けいおん!シリーズより『軽音!』 感想

アニメみました。

けいおん!シリーズより『軽音!』

 

以下感想です。

■あらすじ

■みどころ

--『軽音』まとめ--

■本作のシリーズとしての意図

 

■あらすじ

 

文化祭前に風邪で寝込んだ唯が、風邪を治して文化祭のステージに立つまでを描く回です。本作は本シリーズ『けいおん!一期』の一応の最終回として位置づけられており(本作の後に番外編が数本ある)、内容も本作全体を総括する内容になっています(後述します)。

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唯が風邪を治して文化祭で演奏するまでのドタバタ

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■みどころ

 

この回のみどころはなんといっても唯が本番直前にギターを取りに家に走って帰るシーンです。シリーズ序盤、高校入学時の唯が家のリビングのターンで転ぶ描写がありましたが、この回ではそのターンを転ばず曲がりきる描写があり、文化祭という目的を持った唯が、ターンという困難で踏ん張ることができたことを象徴的に描いています。高校から家までの道すがら唯の独白が入ります―――

 

そういえば、入学式のときもこの道を走った。何かしなきゃって思いながら、何をすればいいんだろうって思いながら、このまま、大人になっちゃうのかなって思いながら…。ねえ、私。あの頃の私、心配しなくていいよ。すぐ見つかるから。私にもできることが、夢中になれることが、大切な、大切な…大切な場所が!

 

過去の自分にかたりかける形式を採った、ボケ担当の唯とは思えない深遠な考察と詩的な表現です。1話から見続けてきた視聴者にとってこの唯の独白は、万感の感慨を伴って、シリーズの締めくくりにふさわしい印象を与えていますし、また、アクシデントの中走りながら感慨にふけるという、この回全体のドタバタ劇としての毛並みにもまったくふさわしい演出で、雑多で、ともすればまとまりを欠くそれぞれのシーンをつなぎとめることに成功しているといえます。会場に着いた唯を迎えてライブが再開され、成功裏に終わって本シリーズのラストとなります。

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軽音部との出会いに思いを馳せる唯

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--『軽音』まとめ--

 

■本作のシリーズとしての意図

 

この、さまざまなアクシデントがありながらどうにかこうにか文化祭の演奏を成功させるという、まったく普通で、ある意味没個性的なシナリオが、なぜこれほどまでに視聴者の胸に迫るのでしょうか。これには、最終回にいたるまでの第1話から第11話に展開されている、膨大な量の日常回の存在による作用であると考えられます。本シリーズは、大雑把な言い方をすれば第1話から第11話の間に、軽音部のメンバーが練習したり怠けたり、多少の起伏はあれど一つ一つは取るに足らない時間を過ごす様が繰り返し描かれています。散発的な笑いやシナリオのダイナミズムで視聴者を退屈させない努力は随所で見られましたが、視聴途中で退屈を感じた視聴者もいたことと思います。しかしそれらの日常は、一つ一つは取るに足らないものでも、やはり省くべからざるものなのです。なぜなら、それらの存在が唯をして軽音部を「大切な場所」と言わしめたのであって、軽音部で立つ文化祭のステージを、「私たちの武道館」と感じせしめているからです。

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一緒に過ごした取るに足らない日常の存在が、唯にとって軽音部のメンバーがかけがえのないものにしている

 

実際、軽音部が演奏しているのは高校の講堂であって武道館ではなく、軽音部のメンバーも普通に進学して普通に卒業していきます。唯が独白の中でいうように、「普通に大人になっていく」わけです。しかし、普通の日常を積み重ねて、普通に大人になるということが、個人的な私的な体験として知覚された時に、その「普通に大人になるということ」は「かけがえのない体験」たりえるのです。日常回をいちいち省かずに丁寧に、ささやかな登場人物の心の機微まで詳細に表現しているのは、日常回の視聴が視聴者にとって、より個人的で私的な体験として感じられるようにする演出です。そうやって視聴者は唯達が歩んだ「普通の日常」をあえて省かず個人的な体験として視聴することで、「普通に大人になっていく」ことが「かけがえのない体験」になるということを最後に理解できるという構造になっています。

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普通に大人になる過程が、個人的な体験として知覚されたとき、それはかけがえのない感慨を伴ってくる

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆