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『きらめく星座』

映画の感想

舞台見ました。

『きらめく星座』原作:井上ひさし

 

戦時中、貧しい暮らしの中でたくましく生きる人々の愛すべき暮らしを描き、それと対比させて戦争のむごたらしさを主張する作品です。

 

以下感想です。

■源次郎

   - 幻肢痛

   - 源次郎を配すことの主張

■喜ぶということ

■暗雲垂れ込める将来

 

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■源次郎

この作品で印象深いのは、まず、山西惇演じる傷痍軍人「源次郎」です。初登場時には生一本の性格で、日本帝国の道義を堅く信じる人物として描かれていますが、オデオン堂の人々とのふれあいの中で次第に心境に変化が生まれ、柔軟な人物に変わっていきます。


   - 幻肢痛

源次郎は傷痍軍人であり、戦場で右腕を失っています。オデオン堂に婿入りした後に失った右腕が痛む「幻肢痛」を患います。この、「右腕を失った源次郎」は(劇中で源次郎自身が言及しているように)「道義を失った日本帝国」を暗示しています。信じるべきものを失ってもなお、新しい生き方を選択できずに苦悩するとき、源次郎は幻肢痛に苦しむことになります。幻肢痛で満足に動かない右腕のせいで、天皇陛下肖像画を取り落としそうになるシーンは、源次郎の帝国道義への信仰心の揺らぎを端的に表しています。


   - 源次郎を配すことの主張

源次郎という敬虔な日本帝国信者は、竹田曰く「奇怪で嘆かわしい世の中」を目の当たりにすることで、信仰心に揺らぎが生じます。脚本はこのキャラクターを通して、日本帝国ひいては戦争のバックボーンとなった論理の理想と現実のギャップを指摘しているのだと思います。


■喜ぶということ

いわゆる戦争ものでありがちなのが、物資の欠乏に負けずにたくましく生きる民衆の姿が描かれる演出ですが、この作品もその例に漏れず、タバコ、コーヒー卵、ビール等の物資をつつましく分け合って喜び合う様が歌を通して印象深く描かれています。物に溢れる現代に生きるわれわれの体験するそれよりも新鮮で豊かな喜びを享受している様には考えさせられるものがありました。月並みですが、物の量では喜びの量は測れないということでしょうか。


■暗雲垂れ込める将来

一貫して気楽でコミカルな作風ですが、ラストで語られる各人のこれからは困難を予想させます。源次郎は幻肢痛が悪化し通院のために引越しをし、竹田は子供たちに当時の日本の過ちを教えるという理想に殉ずるべく満州に向かい、ふじ、信吉夫妻は(数年後に惨劇の舞台となる)地元長崎に帰ります。ささやかな壮行会の最中に空襲警報がなり、舞台が暗転した後に全員がガスマスクを着用するという不吉で、異様なラストは、愛すべき人々の暮らしや想いが戦禍によっていとも簡単に覆い隠され、なかったことにされるさまを連想させ、強烈な印象です。

 

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