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『阿Q正伝』魯迅著 より『孔乙己』

本読みました。

阿Q正伝魯迅著 より『孔乙己』

 

以下感想です。

■あらすじ

■時代的背景

■孔乙己なるキャラクターの描写

■孔乙己と周囲の人間の関わり

--『孔乙己』まとめ--

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■あらすじ

 

この話は、前時代的インテリゲンチャの典型である[孔乙己]なる人物が、どん詰まりの日常を過ごしながら社会から緩やかに拒絶され、限界を迎える様を描いた話です。大衆居酒屋のバイトをしている[私]目線で、その居酒屋に出入りしている[孔乙己]を観察する形をとっています。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■時代背景

 

そもそも魯迅という作家は、中国文学界に革命を起こすことを目的として活動した人です。この話の主題になっている孔乙己は、伝統至上主義に陥って時代に合わせて変化することを拒絶する儒教文化的発想の人間を表していて、そういう人間が凋落する様を描くことで、中国文学界の儒教主義を批判するという意図があります。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■孔乙己なるキャラクターの描写

 

この作品の見どころは、人物描写の巧みさだと思います。時代遅れの保守主義の象徴である孔乙己の人物像が、その立ち居振る舞いやありようによって巧みに表現されています。

 

孔乙己はブルーカラーの人達が利用する大衆居酒屋の客で、自らは「裾長の着物(ブルーカラーではないことを表す)」を着用していますが、その着物は「汚らしくまたボロボロで、十年以上繕ったこともなければ、また洗濯したこともないような」状態です。いつも口をついて出るのは「気取った文章語で、ほかの人々にはわかるような分からないようなもの」です。そして極めつけは、人に盗みを指摘されたときの弁解に孔乙己はいいます---

 

書物を盗むのは盗みの中には入らない…書物を盗むのは……読書人のすることで、盗みには入らないのじゃ」

 

---この論理破綻した自己弁護が、時代に取り残されボロボロのプライドにしがみつく孔乙己という人間をよく表していて秀逸だと思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■孔乙己と周囲の人間の関わり

 

孔乙己と居酒屋の客、居酒屋の主人との会話が二度ほど描写されています。この二度の会話が、孔乙己と社会の隔絶をよくあらわしています。以下に抜粋します。

 

「孔乙己、お前本当に字を知っているのかい?」。孔乙己はその尋ねたものを見ながら、返事をするのも潔しとしないといった顔つきをあらわにする。彼らは続けてまたいう「お前どうして半分の秀才も取れなかったのだい?」孔乙己はするとやりきれないような表情を浮かべる。顔はすっかり灰色に覆われてしまい、口には何ごとか喋るが、しかしそのときの言葉はまったくの文章語で、一言もわけがわからないのである。このとき、人々はまたドッと笑い出す、店の内外には賑やかな空気がいっぱいになる。

 

主人が首をつき出すとともに、「孔乙己か?お前まだ十九文貸しがのこっているぜ!」といった。孔乙己は大変しょげたように顔を仰向けにして答えた「それは……この次に払うよ。今日は現金だ、酒は上等のやつをくれ」。主人はやっぱりいつもの調子で、笑いながら彼に言った「孔乙己、お前また何か盗んだのだな!」だが彼はあまり弁解をせずに、ただ一言「からかわないでくれ!」といった。「からかうって?盗みをしなかったら、どうして向脛を打ち折られることがあるものか!」孔乙己は低い声で言った「ころげて折れた、ころげて、ころげて……」彼の眼の色は、主人にもう言ってくれるなと懇願しているようであった。そのときもう数人のものが集まっていたが、主人と一緒になってみな笑った。

 

拒絶している社会側は何の悪意もなく、拒絶されている側は何度も傷口に塩を塗られ、遊び半分で人格を否定され、やがて限界を迎える様がありありと描かれています。最後の会話の後、孔乙己は貸しを残したまま店に来なくなりますが、バイトの私は「多分、孔乙己はきっと死んだのだろう」と、冷淡を通り越して無関心な反応です。これら一連の描写がこれほどまでに生き生きしているのは、そういうシーンを実際に多くの人が見たことがあるからでしょう。最初にこの描写を読んだとき、真っ先にバラエティでいじられている芸人を思い出しました。出川哲郎氏がアメトーークで、よく同じような目にあって笑いを誘っていますが、彼はそれを生業としているからいいようなものの、アメトーークのそのノリを真に受けて日常生活に応用しようとする人がいて、日常生活でもアメトーーク的な「遊び半分の人格否定」は割とよく見られると思います。この描写を見るに、この作品は中国で戦前に生まれたものですから、こういうノリはアメトーークが元祖というわけではなく、また日本のバラエティが元祖というわけでもなく、人間社会に深く根付いた作用なのだとわかります。そういう人間社会のほとんど普遍的な作用を使って表現してるからこそ、その表現内容は読者にリアルに実感を伴って伝わって、始めて読むけど身に覚えのあるような印象を与えるのだと思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--『孔乙己』まとめ--

 

結局、この作品は、孔乙己のありようと周囲の人との交わりを普遍的な閉塞感や隔絶感の表象を巧みに使って表現することで、非常に印象深い作品になっていると思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆