『絶望名人カフカの人生論』カフカ著 頭木弘樹編訳
本読みました。
以下感想です。
■あらすじ
■みどころ
■生きづらさの根源はなにか
--『絶望名人カフカの人生論』まとめ--
■関連する作品
■あらすじ
カフカが残した作品、家族や知人にあてた手紙の中から、彼の性格がよく表れたネガティブな部分をピックアップして解説を加えたものの寄せ集めです。絶望の対象が将来、世の中、両親、恋愛…と人生のシーン別に分けられていて、トータルで86個の文が解説されています。
■みどころ
カフカのネガティブさが常軌を逸しているところが面白いです。まじめな仕事ぶりで順調に出世しながらも、仕事を耐えがたいものととらえ激しく拒絶し、自分の健康に執拗に気を使い逆に健康を損ねてしまい、そして病気になったときは現実から離脱できると歓喜し、彼を古くから知る友人をも困惑のどん底に叩き落しています。
エピソードの数々は笑い話としての面白さもあるのですが、私のようなネガティブな気質な読者が、カフカの悩みに「さすがにそれは言いすぎじゃないか」と疑問を持つことが、読者が自身の人生の悩みの困難さにも同様に疑問を持ち始めることのきっかけとなりうる点が素晴らしいと思います。懐疑的であるというネガティブな気質も、現実のどの部分に疑いの焦点を当てるかによって朗らかな気分を喚起することもあればふさぎ込んだ気分を喚起することもあります。何に意識を向けるかという部分を司っている脳内の働きが、ネガティブとかポジティブとかの気分に支配されてしまわないことが大事だと思いました。懐疑するという心の動きが意識の向け方次第で朗らかな気分につながる、という興味深い現象を、非現実的なまでに極端にネガティブな見解の列挙という内容の構造的な特徴で実演しているところがこの作品の魅力です。
何に意識を向けるかによって、懐疑すること、絶望することなどのネガティブな心の動きも心を軽くする作用をもたらす
似たような事例として、「O・ヘンリ短編集Ⅱ」の中の「失われた混合酒」という作品の中に、下記のような表現が出てきます。
ジム・ジェフリ(往年のヘビー級チャンピオン)程度のけちな野郎しか、やっつけ甲斐のある奴がまわりにいねえというんで、手に顔を埋めておいておいおい泣き出そうというくらいのものなんだ。
これは作中の、飲んだものを極限までポジティブな気分にさせる幻の混合酒を飲んだ時の気分の描写です。ポジティブすぎて逆に泣き出しているのがコミカルな描写ですが、カフカのネガティブエピソードもこれに似た趣があります。特に病気になって歓喜するくだりなどは、この例と全く同じで、読み手がネガティブな感情に支配されてしまっているときには、この種のネガティブ・ポジティブの枠組みに揺らぎを与えるような考えは非常に救いになると思います。
■生きづらさの根源はなにか
先に述べたことをもとにして考えると、われわれがもつ悩みが我々を苦しめるとき、われわれが(生来の気質によって、あるいは外的な要因によって一時的に)ネガティブであるとか、ポジティブであるとかといったことがその原因ではなく、現実のどの部分にそれら心の動きの焦点を当てているかが原因となっているということができます。より正確には、物事の解釈をどのようにするかの方法についての問題(ネガティブ・ポジティブ)と物事のどの部分に着目するか(焦点を当てる)という問題が二つあって、その組み合わせの結果としてその時その時の気分(朗らか・ふさぎ込み)や長期的には人生の幸せ・不幸が決定されているということです。
図にするとこんな感じ
この作品は、ネガティブ・ポジティブという二項対立で語られがちな考え方の問題に対して、具体的な考え方の変え方についての示唆を与えています。グラスに水が「もう半分しかない」と考えるか「まだ半分もある」と考えるかという、現実とその解釈の関係を端的に表した例がありますが、この作品の示唆するところを踏まえると、グラスに水が「もう半分しかない」と考えがちな人は、「まだ半分もある」と考える努力をするのではなく、グラスに水が「もう半分しかない」から、「水を嚥下するという苦役からもうすぐ解放されそうだ」と解釈するべきであるということができます。
ネガティブな性格を変えようとするのではなく、ネガティブな面をネガティブな性格で解釈しようとすれば、朗らかな気分が生まれる
--『絶望名人カフカの人生論』まとめ--
この作品は、以下の点で有益です。
カフカの極端すぎるネガティブ思考が、一般的なネガティブ思考にとらわれた読者を開放する点
物事を希望的に見る方法についての示唆を与えている点
■関連する作品
今回紹介した作品・記事内で言及した作品はこちらです。