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『脳内麻薬で成功中毒』増田勝利著

>○○な自分になる

例えば、「初対面の人とすぐに仲良くなりたい」という願望を持つのは、「初対面の人とすぐに仲良くなれない、人見知りをしてしまう」という前提認識が自分の中にあり、それを変えたいと思っているわけです。「思考は現実化する」というフレーズがあります。これは、成功哲学の第一人者であるナポレオン・ヒルの有名な書籍のタイトルですが、この表現はあまりにも大雑把すぎると私は感じます。

事実、「思考は現実化」しますが、もっと詳細かつ具体的に表現すると、「前提となっている思考が現実化する」ということなのです。

「もっと自分をストレートに表現できるようになりたい」という願望を持っている人は、基本的に「ストレートに自分を表現できない」人と考えていいでしょう。「経済的に豊かになりたい」と願っている人は、「経済的に困窮している」人のはずです。

…(略)…

「私は、初対面の人とすぐに仲良くなれない、人見知りをしてしまう」「私は、ストレートに自分を表現できない」「私は、経済的に困窮している」と思っていると、それを肯定化しながら動いてしまうのです。これを避けるために、自分が本当になりたいイメージを強く意識し、「自分はそのような人物である」という前提を作ってしまうのです。

願望の形式で意識すればするほど、無意識脳はその前提をインプットし、前提を肯定化していこうとするでしょう。

…(略)…

意思の形式とは、「初対面の人とすぐに仲良くなる」「もっとストレートに表現できるようになる」「経済的に豊かになる」というカタチを指します。しかし、こう思うだけでは、自分を変えるには不十分です。

…(略)…

無意識脳は「自分のこと」に強く反応するのです。

したがって、無意識脳が働きやすいように、次のように意思の形式を修正する必要があります。

「初対面の人とすぐに仲良くなれる自分になる」「もっと自分をストレートに表現できる自分になる」

「経済的に豊かな自分になる」

このように、「自分になる」という言葉を入れ込むだけで、意識は大きく変わり、結果に繋がります。

無意識脳は、自分のことに強く反応する、ということが言われています。自分になる、といういい方は、対象の原因を自分に引き付けて表現するいい方法だと思います。経済的に豊かな自分になる、といういい方は、経済的に豊かになった原因が自分にある、ということを強く示唆しています。経済的に豊かになる、という言い方では、自分起因でない原因による経済的豊かさの達成、ということも含まれていますが、自分になる、をつけるとその余地が厳しく排斥されていることに気付きます。この態度はなぜでしょう。思うにこれは引き寄せの法則の根幹にかかわる点であって、引き寄せの法則が実現するのは、偶然の幸運を起こす、ということではなく、表面的にそのように見えても、実はそういう偶然を発見する状態に、自分がなっているということが重要なのではないでしょうか。外側に影響を与えたり、働きかけるのではなく、自分の内面の話なのです。

 

前提を実現する、という話は前の『すごい無意識』でも言われていたところです。

 

『なぜかうまくいく人のすごい無意識』梯谷幸司著 - H * O * N

 

>経済的価値からの脱却

お金を実体のないものと考え、お金イコール自分の価値という社会の呪縛から自分を解き放つ姿勢を持ってほしいのです。

経済とは、しょせんは社会が作ったルールでしかありません。「赤信号では止まり、青信号では進む」というルールと同じで、「赤はストップ、青はゴー」という決まりは物理的法則ではなく、人々の同意の下で守られているに過ぎません。

経済的に豊かでないことに悩んでいる人の多くが、経済的価値と自己評価を直結させています。これはまさに経済という概念によるマインドコントロールです。この心理状態では、前項で述べた脳の好循環を起こすことはできません。まずは経済的価値観から自分を切り離してみてください。

経済の仕組みが、実体のないものに価値を与えることで成り立っているという事実を理解し、経済に関する固定観念から自分を解放していきましょう。

その方法の1つとして、紙幣は「政府が定めた全国共通商品サービス交換券である」という考え方を無意識脳にインストールし、経済と自己評価を切り離すマインドテクノロジーを紹介します。まずは額縁を用意し、1万円札と5000円札、1000円札をその額縁に入れ、飾ります。いつでも目が届く場所に飾れるのであれば、額縁を用意しなくてもかまいません。

飾った後は、お札を眺めながら、「これは社会が作ったシステムだ。私自身の価値とは無関係だ。経済とは実態を伴わないバーチャルなものだ。よし!」と声に出してみます。

これを1カ月ほど毎日続けてください。経済の成り立ちを理解した上で、自分に対して言語的情報を投げかけることで、徐々に自分が所有する経済的物質量と自己評価が切り離されていきます。

これができると、経済的なバックグラウンドは自分を形成しているほんの一部であり、すべてではないことが無意識脳レベルでわかってくるでしょう。さらには、自分の脳が作り出す発想の中身が、見違えるほど自由度を増していきます。

経済的価値を自分の価値と勘違いしてしまう、という発想のルーツはどこにあるのかというと、その背後に、社会的価値というものがあると思います。お金をいっぱい使うことはそんなに偉いと感じない人でも、会社で課の役に立つことをするということは偉いと感じる人は多いと思います。しかしこの二つは、引用の文脈では同じものです。誰かの役に立って感謝されるということは、人々の同意による価値にほかならないからです。価値の説明に人々の同意が必要であるという点が重要だと思います。社会の他の構成員の同意によって効力を発揮するので、社会に根差す価値、すなわち社会的価値です。コミュニティが小規模なほど説明は少なく、不合理な価値が認められてきます。小さい会社のある課で作業Aをできる人がBさんしかいない、ということになるとBさんが作業Aをすることはこの課内では価値があります。課内の同意のもとで価値があるのです。こういうローカルルールは、組織のスコープを課→会社→日本→全人類と大きくしていくと顧みられなくなっていきます。最後に残るものはなにか。それが経済的価値なんだと思います。厳密には金銭的価値が価値を持つのは文明人たちのグループにおいてのみです。お金を持っているという事よりも、狩りの上手さをより高い価値とする狩猟民族や、神に選ばれることをより高い価値とする神秘的な民族もいることでしょう。しかし我々はそういう人々の同意を得ることをしません。我慢しているのではなく、必要と思わないのです。ここでどうやら文明人は、そういう深い意識のレベルにおいて、非文明的な暮らしの中に生きる人々を一段低い階層の人々とみなしているのでは、という疑念が生じてきます。非文明人は文明人に比べて下等なので、彼らに同意されることは重要でない、文明人の枠組みで考えると経済的価値が最もよく人々の合意を得られる、ゆえに経済的価値が至高の価値である、というわけです。

 

本当の価値は、経済的価値にはありません。狩りの巧拙にもないし、神の託宣にもありません。本当の価値は言語的な理解を越えたものなわけです。ですのでここから先を言葉で説明することはできません。言語的な理解を飛び越えて、非言語的な自分の本当の価値を非言語的なまま理解する、ということが求められているわけです。一人旅をしろ、というのもこの発見に至る実践的な助言なわけです。

 

ところで、お金に対して、これは私自身の価値とは無関係だ、というというのは、やはり『仏教誕生』に出てくるアートマンの記載を彷彿とさせるアプローチです。

 

『仏教誕生』宮本啓一著 - H * O * N

 

ヤージュニャヴァルキヤが一貫して追い求めたものは、真実のアートマンである。世間の人びとがアートマンだと思っているものは、真実のアートマンではない。というのも、「アートマン」を意味するとされる「わたくし」ということばを主語として、世間の人びとは、それにさまざまな述語(属性、限定)を連結させるからである。「わたくしは~である」と世間の人びとは口にし、それがアートマンであると思っている。しかし、真実のアートマンは、いかなる属性も限定ももたない。つまり、真実のアートマンは、こうである、ああである、というように、ことば(概念)によって捉えることはできない。あえて真実のアートマンをことばで表現しようとすれば、右の「~」に入りうるあらゆることばを羅列し、そして片端から、「~にあらず」というしかない。

経済的価値がアートマンと考える現代人に対して、~にあらず、と言え、と言っているわけです。

 

>瞬間アクション

脳内ホルモンの1つにアセチルコリンという物質があります。これは、やる気、好奇心を起こしてくれる脳内ホルモンです。アセチルコリンはまた、副交感神経を刺激して身体をリラックスさせ、交感神経の働きを鎮めて、興奮状態や緊張状態を緩和します。これらに加えて、シータ波の発生を促し、覚醒と睡眠、思考、記憶、学習、集中などにもプラスの影響を与えると言われています。

…(略)…

アセチルコリンは、行動し始めてから分泌を開始するホルモンです。したがって、アセチルコリンを分泌させるには、とにかくアクションを起こすことが肝心です。

…(略)…

とにかく行動に起こせば、アセチルコリンが分泌され、作業興奮が起きるのです。私はこれを「瞬間アクション」と呼んでいます。どんな小さなことでもいいので、とにかく行動を起こすように心がけるのです。

「ゴミが落ちているのに気付いたから、拾う」

スマホに指紋やホコリが付いていから、拭く」

気が付いたらすぐに行動してみます。その際には、その行動によって得られる成果は真剣に考える必要はありません。行動そのものが成果だと考えましょう。

気付いたらすぐに行動に移るというパターンを脳にインストールし、やる気・好奇心ホルモンであるアセチルコリンをいつでも分泌できるようにしておくのです。

>ピークエンドの法則

心理学では、ピークエンドの法則というものがあります。脳科学でも同様の考え方があり、感情がピークになったところと、最後(エンド)のところを脳が感受し、それを印象に残すというメカニズムです。

自分の普段の発想は、果たしてどちらに近いでしょうか?無意識のうちに前者のような発想をしていませんか?

「私、痩せたいけど、ダイエットが続かないんです」「お金を稼ぎたいけど、私には難しそう」

こんな感じです。では、これらをひっくり返すとどうなるでしょうか。

「私ダイエット続かないんです。けど、痩せたいんです」「私には難しそう。けどお金稼ぎたいんです」

どうでしょう?こうするとやる気が前面に出てきませんか?

これは普段の考え方を考えるうえで実用的な考え方です。ここで言われているのはつまり、言っている内容ではなく文脈というものが、言っている内容の全体的な色彩を左右するという事実です。肯定→否定も、否定→肯定も、出てくる単語の顔触れは同じです。しかし順番を変えるだけで、思考全体が帯びる色彩は真逆のものになっています。この色彩こそが重要だということが繰り返し述べられているんだと思います。言語情報を越えた非言語的な印象、言語的に理解できる状況の中にある非言語的な印象がこの色彩なわけです。そこまで抽象化すると、われわれの人生は立っているステージは変わってもおなじ色彩を繰り返し味わい続けている営みであるということはできないでしょうか。xxだけど難しい人生か、xxだけどooしたい人生か。

 

>過度な一般化

私たちの脳は、先天的に「より良くなろう」という動きをします。その人の知性の範囲でより良さを求め、実行してしまうのです。

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現実を見つめれば、誰にも「もっとこうしよう」といった問題意識は必ず生まれるものです。それを真摯に捉えれば捉えるほど、思いどおりにできない現実とのギャップを感じるので、悩みが生じます。ただし、これはむしろ歓迎すべきことと言えます。したがって、人間関係において悩みを抱えている人は、悩みの根っこにある「より良くなろうとしている自分」にフォーカスして、まずは認めてあげてください。

…(略)…

この状態は、「過度な一般化」と呼ばれます。いくつかの現象を、あたかもそれがすべてであるかのように過剰に一般化していることから、そう呼ばれています。過度な一般化の代表的なものを次に挙げてみましょう。

「誰も私のことをわかってくれない」「私はいつも失敗する」「私は何をやってもぜんぜんダメ」「私はどんなことにも自信がない」

よく耳にするフレーズではないでしょうか?「誰も私のことをわかってくれない」と訴える人の話をよく聞いてみると、理解を求めたのは実際には3~4人だけだったりします。

また、「私はいつも失敗する」という人の話を聞くと、実際に挑戦したのは2~3回だったりするのです。「何をやってもぜんぜんダメ」「どんなことにも自信がない」と訴える人たちも、ほんの一部の側面だけを切り取って、それがすべてと決め付けていたりします。

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過度な一般化が起きると、問題の本質を見極めることができなくなります。そのため、「自分はいったい何に悩んでいたのか」が、しっかりと把握できなくなってしまうのです。これはとても危険な状態であると言っていいでしょう。

…(略)…

過度な一般化を行っていることがわかったら、意識のフォーカスをズームインし、悩みの原因は何だったのかを特定してほしいのです。

意識のフォーカスには、ズームインとズームアウトの2つがあります。意識を広げていくのがズームアウト、絞っていくのがズームインです。ズームインとズームアウトの概念を説明するため、「水」を例に取ってみましょう。

水はいたるところに存在し、川や雨だけでなく、鼻水や血液の中にも含まれています。もちろん、飲み物も例外ではありません。そこで、飲み物にズームインしてみましょう。

飲み物には、井戸水もあれば、オレンジジュースやお茶、アルコールなど、実に様々なものがあります。

このとき、アルコールにズームインすると、井戸水、オレンジジュース、お茶はアルコールの範疇から外れますが、ビールやワイン、日本酒、焼酎、ウィスキーなどは範疇内に留まります。さらにズームインしてビールに焦点を当ててみましょう。ズームインを続け、アサヒスーパードライの350ミリリットル缶に焦点を絞ったとします。

ここまでくると、意識のフォーカスは具体的かつ完全に明確化されたことになるのです。

この逆がズームアウトです。アサヒスーパードライの350ミリリットル缶をズームアウトすると、ビール全般となり、その後は、アルコール、飲み物、水という順番で焦点が拡大していきます。

こう考えると、過度な一般化は、ズームアウトの結果起きていると捉えていいでしょう。

過度な一般化、というのが脳の典型的なふるまいとしてあるということが言われています。悩みだけでなく、願望もそうだと思います。お金持ちになりたい、という願望はまず明らかに過度な一般化です。これにズームインしてみましょう。まず、お金持ちがよくやっているリッチな生活に憧れがあるからお金持ちになりたいと言っているわけで、お金持ちというのはそういうことを継続的にできる立場にいるひとであって、そういう状態になりたいということを言っています。ここに、リッチな生活、消費生活、経済生活、という刹那的な気持ちよさから、それを継続的に味わうことができる立場、権利への一般化があることが知れます。さらにすすめると、そういう生活、とは具体的に何でしょうか。朝は日差しの気持ちいいキッチンで、フルーツやらパンやらソーセージやらスクランブルエッグやら、とても毎朝は作れないような手の込んだ朝食を食べながら、今日という最高の一日に思いをはせること。昼間からよさげなビーチにパラソルとソファを置いてフルーツが刺さってるトロピカルなドリンクを飲んだり、あるいはカフェみたいなオシャレなオフィスでiPadを使いながら最高に刺激的でクリエイティブな仕事を、時間の制約をビヨンドしてやっていること。夜は夜景がきれいなバーのラウンジで値段の書いてないメニューをチェックしつつやっぱりいつものスコッチで愛しい人と乾杯すること。こんなところでしょう。自分でも何を言っているのかよくわかりませんが、とにかく、ここで言いたいことは、お金持ちになりたいという願望は、そういうお金持ちを想起させるようなリッチな生活態度の、どれを、というわけではなく、「全体を」承認している思考だということです。具体的な個々の行動をお金持ちっぽいという雰囲気のもとに一般化したわけです。

 

アクティビティの刹那的な気持ちよさ→継続的にそれを味わうことのできる状態への一般化

複数の個別的な振る舞い→お金持ちっぽい、という名のもとに振る舞い全体を承認する一般化

 

ここで何かが抜け落ちたように感じます。つまり、朝に手の込んだ朝食を食べただけでは、別にそれはお金持ちに対する渇望を癒しはしないのです。振る舞いとしてはお金持ちの振る舞いに属するものであるにもかかわらずです。それは私が勝手にクソ忙しい朝にめんどくさいことをしているだけです。こういうことをしている、ということを周囲の人間が羨望の眼差しを以て見ている、ということが必要なのでしょうか。他人の朝食事情をつぶさに知っている人、というのも想定しずらいですが、このお金持ちになりたい、という願望を考えるときにはこのことは一度考える必要があると思います。めんどくさい朝食を加えたお金持ちの振る舞いに属する行動様式を、いくつも継続的に、日常的にできるようになったら、周囲の人間に、あいつは最近暮らし向きがいい、という観測をもたらすことができる、というのは一つ合理的な考え方だと思います。ここで尊敬ということが出てきます。お金持ちになりたいという願望は、うえに述べた行動様式を繰り返す、という手段によって、尊敬を勝ち得たいという願望であるということが言えます。

 

お金持ちになりたい→気持ちいいことをして尊敬されたい

 

この一般化には穴があることはすぐにわかります。例えば個々の気持ちいい振る舞いをすることが本当にその人が求めていることなのか。あるいはそういうことを継続的にすることで周囲の人間からの尊敬を勝ち得ることができるのか(よくよく考えると心ある人間には馬鹿にされかねない振る舞いではないでしょうか)。この穴はさらなるズームインを呼びますし、それを考えることは必要だろうと思います。この件はいったん懸案とします。

 

>マインドフルネス

マインドフルネスとは、デフォルトモードネットワークの機能を正常に働かせるために、「今ここ」「今この瞬間」に意識を集め、脳の過剰な働きを抑制しようという考え方です。

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どんな姿勢でもいいので、一番楽だと思う姿勢になってください。次に、目を閉じて深呼吸をします。

吸う息は鼻から、吐く息は口から、ゆっくりと細く長く吐いて、ゆっくりと吸ってください。

目安として、吐くときはゆっくりと7カウントし、3カウント止めて、5カウントで吸ってみましょう。こうでなくてはいけないというものではありません。あくまでも目安です。続けて呼吸をしながら、頭の中で(心の中で)言葉を繰り返します。この言葉は、自分にとっての座右の銘にしてください。

例えば私なら、「人生に乗り越えられないハードルはない」と繰り返します。この言葉を、目を閉じ、呼吸をしながら何度も唱えます。1回1回に間を空けて、一文字一文字、石版に刻み込んでいくようなイメージでしっかりと暗唱しましょう。これだけです。スマホのタイマーで、3分から5分くらいの時間をセットしておき、寝る前でも仕事中でもかまわないので行ってみてください。

実際にやってみると、まず物理的に視界が広がることに気が付くはずです。さらに心が落ち着いていきます。

穏やかな心理状態になれば、セロトニンメラトニンといった健康にとって最高のホルモンの分泌を促せます。

>寝際の催眠療法

催眠療法では、眠る一歩手前の状態を意図的に作り、理性が働かない状態にして、外部の情報を無意識脳にストレートに刻み込んでいきます。その際に、ネガティブなことを注入すると、それが無意識脳に浸透し、悪影響をもたらします。

眠る一歩手前の状態とは、まさに寝際のことです。このときには絶対にネガティブなことを考えてはいけません。

寝際に思い浮かべることで一番いいのは、感謝の気持ちです。一説では、感謝すると脳波がシータ波になると言います。シータ波はベータエンドルフィンという脳内ホルモンの分泌を誘発します。このホルモンは、脳内麻薬とも呼ばれていて、特に痛みに対して効果を発揮します。つまり、病気に対して非常に有効なのです。

寝際に、身近な人を思い浮かべながら、「○○さん、いつも本当にありがとう。感謝します」と心の中で唱えてみてください。これを意識がなくなるまで続けます。実際にやってみると、次の日の寝起きがとても爽快であることに気が付くでしょう。目を覚ましたら、すぐに起きず、布団の中に入ったまま、5分くらい過ごします。この目覚めの5分間の過ごし方が、起床後の脳の状態に強い影響を与えます。目覚めた直後は、メラトニンの分泌からセロトニンの分泌にシフトするタイミングなのです。この時間を使い、次の言葉を繰り返し唱え、無意識脳に植え付けてください。

「私の脳は生き生きとして活性化している」「私の内臓は生き生きとして活性化している」「私の血管は生き生きとして活性化している」「私の骨は生き生きとして活性化している」「私の神経は生き生きとして活性化している」「私の細胞は生き生きとして活性化している」

寝起きはボーっとしていることも多いので、やろうと思っても忘れてしまうかもしれません。それを避けるために、起きてすぐ目に入ってくる場所にこれらの言葉を書き写した紙を貼っておきましょう。あるクライアントは、天井に貼っていると言っていました。1週間続けると、変化を実感できると思います。

どちらも具体的な話です。私にとってこの本は、無意識とか論理を越えた感覚や体験に類する問題をどうするか、という問いへの一連のアプローチの一つとして読んだわけですが、それに関して言えることは、無意識に影響を及ぼす意識的行動を考える、ということだと思います。

 

無意識に影響を及ぼす意識的行動を考える

 

繰り返し言っている「具体的」というのもまさにこのことで、論理的に明確に理解できることほどより具体的なものです。論理的なことでも、頭の中でやっていることは感覚的な領域に片足を突っ込んでいる状態だと思います。「思い出す」とか、「感じる」とかという指示の仕方だと、頭の中で意識を動かしてそういう行動(頭の中の)をすることになりますが、これが容易ではないのです。

 

その意味で本作のタイトルにもなっている「脳内麻薬」というのも一考の余地があることだと思います。脳科学という分野は、意識でどうにもならないものに影響を与えているものを意識の側から探求する、ということだと思います。無意識はその定義より意識の外にあるものですし、意識にしてみても、その活動は原則観測可能ですが、その「出自」ということになると、意識を超えている、ということはこれも原理的に言えることだと思います。繰り返しになりますが、無意識に影響を及ぼす「意識的行動を考える」ことをしないといけないと思います。