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『阿Q正伝』魯迅著、増田渉訳

>奇妙な同一性

阿Qは、未荘の中でも社会的なカーストの低位に位置する存在として描かれています。未荘の人々の振る舞いから、そのことが読み取れる箇所がいくつもあります。

 

阿Qは心の中で思ったことを、後にはいつも口に出していうようになった。だから阿Qをからかうすべての人々は、ほとんどみな彼がこのような一種の精神的勝利法をもっていることを知った。それからというもの、彼の辮髪をつかむと、人はまず最初にこういう、

「阿Q、これは子供が親父を殴るのではないぞ、人間が畜生を殴るのだぞ。お前自身でいえ、人間が畜生を殴るのだ!と」阿Qは両手で自分の辮髪の根元を握りしめて、頭をゆがめながら、いうのである、「虫けらを殴る、といったらどうだい?俺は虫けらだ――これでも放してくれないのかい?」

だが虫けらであったところで、閑人たちは決して放しはしない。いつものようにどこか手近なところへ連れて行って五つ六つゴツンゴツンと音を立てて打っつけて、それでやっと満足した気持ちで、勝ち誇ってその場を去り、阿Qも今度こそ打ちのめされただろうと思うのである。ところが十秒もたたないうちに、阿Qもまた満足した気持ちで、勝ち誇ってその場を立ち去るのだ。彼は彼こそ自分を軽蔑し、自分を卑下することのできる第一人者だと思う。「自分を軽蔑し自分を卑下する」というのを除いていえば、その余りの部分はつまり「第一人者」ということになる。文官試験の首席も「第一人者」ではないのか?「貴様なんかがなんだい」だ!

 

ある時、彼は趙という姓であるように思われた、だが翌日になるとそれもアヤしくなってしまった。それは趙大旦那の息子が秀才の試験(文官になる第一階梯の試験)にパスしたときで銅鑼をグヮングヮンと鳴らして村へその報せがきたが、阿Qはそのとき二杯の老酒をひっかけ、手の舞い足の踏むところを知らずといった恰好で、これは彼にとっても大へんな光栄である、なぜならば彼と趙大旦那とはもともとが親類すじで、こまかく計算すると彼は秀才よりは三世代の先輩だといったものだ。そのとき側できいていた人たちは、とにかくシュンとなって阿Qを尊敬する気持ちになった。ところがその翌日になると、隣保の世話役は阿Qに趙大旦那のところへ行こうといった。大旦那は阿Qの姿を一見すると、満面に朱をそそいで怒鳴りつけたのである、

「阿Q、この間抜け野郎!お前はわしをお前と親類だといったのか?」

阿Qは黙っていた。趙大旦那は怒り出してしまい、二、三歩詰め寄っていった、

「お前でたらめなことをいうな!わしがどうしてお前のようなものと親類であるはずがあろう!お前は趙という姓なのか?」

阿Qは黙ったまま、その場をずらかろうとした。趙大旦那は踏みこんできて、彼に一つ平手打ちをくらわした。

「お前がどうして趙の姓であるはずがあろう!お前なんか、趙の姓に入る資格なんかあるものか!」

阿Qは彼が本当に趙という姓であると言い立てもせず、ただ打たれた左の頬っぺたを手でさすりながら、隣保の世話役と一しょに出て行った。外へ出るとまたもう一ぺん世話役から訓戒をうけて叱られ、二百文の酒手を世話役に出して謝った。その話をきいた人たちは、みんな阿Qはあまりに間抜けだ、自分から殴られに行ったようなものだといった。彼は多分、趙という姓ではないのだろう、たとえ本当に趙という姓であるにしても、趙大旦那がこの土地にいる以上は、そのようなヘマなことをいってはいけないのである。それから後は誰も彼の氏族についていう者はもういない、だから私は結局、阿Qが何という姓であるかを知らないのである。

 

しかし、肝心なところで阿Qと未荘の人々に、未荘の人々の意識的、無意識的な阿Qに対する侮蔑や疎外の心情とは全く別の、奇妙な同一性が見られるような印象を受けます。

 

>>小D

例えばこの小Dというキャラクターは、明らかに阿Qのコピーとしての意味を有するキャラクターです。それが最もよくわかるのは、

 

数日たって、彼はとうとう銭家の照壁(門の前方に道路を越えて衝立のようにつくられた壁)の前で小Dに出あった。「仇同士が出あえば特別に眼ざとい」(中国の諺)ものだ、阿Qはいきなり飛びかかって行った、小Dも立ち止まった。

「畜生!」と阿Qは目をむいて睨みつけながらいった、口からは唾のしぶきを飛ばした。

「俺あ虫けらだ、こういえばよかろう?......」と小Dはいった。この謙遜は反対に阿Qを一そう怒らせてしまった。だが彼の手には鋼の鞭はない。だから飛びかかって行くばかりだ。手を伸ばして小Dの辮髪を握った。小Dは片手で自分の辮髪の付根を護りながら、片手ではまた阿Qの辮髪を握ってきた。そこで阿Qも空いていた片手で自分の辮髪の付根を護った。以前の阿Qから見れば、小Dはもとより物の数でもない男であるが、しかし彼は近ごろ飢えのために、痩せっこけて力のないことは、もはや小Dに劣らなかった。だから勢力均衡の状態を形成して、四本の手が二つの頭をつかみ合って、どちらも腰を折り曲げ、銭家の真白い壁の上に一つの藍色(着物の色)の虹形を映し出すこと、半時間ばかりの久しきに及んだ。

 

阿Qが使っている精神勝利法を彼も使っているという点です。この配役の意図は、阿Qはたしかに未荘で底辺の人間だが、しかし阿Qという主人公が未荘において特別なのではなく、そういう階層の人間は他にもいる、というメッセージだと思います。少なくとも阿Qが座を占める社会的階層が未荘にあり、その構成員も阿Q一人ではないとすると、阿Qと未荘の人々の対立構造、というのはやや緩くなった印象を受けます。社会的な階層は、それぞれが反目しあうこともありますが、その反目という作用も社会という大きいシステムの一部なわけです。

 

>>宥和的な態度

趙家の二人の男性と二人の本当の親類が、ちょうどいま門さきで革命について議論をしている。阿Qはふりむきもせずに、頭を高くあげてただ唱って通る。

「ドンドン......」「Qさん」と趙大旦那はおずおずと阿Qを迎えて、低い声でいった。

「ジャンジャン」と阿Qは彼の名前が「さん」づけにされようとは思いもかけず、何か別の話で、自分とは関係ないと思い、ただ唱うばかりである。「ドン、ジャン、ジャンリンジャン、ジャン!」

「Qさん」「悔いてもおそい......」「阿Q!」と秀才がやむなくその名を呼びすてにした。阿Qはそのときやっと立ち止って、頭をねじ向けてたずねた、「何だね?」「Qさん、......この頃......」と趙大旦那はしかし言葉が途切れた、「この頃......かせぎは?」「かせぎ?もちろんだ。欲しいものは何でも勝手次第......」「阿......Qの兄貴、俺等のようなこんな貧乏人は大丈夫で......」と趙白眼はおそるおそるいった、まるで革命党の口ぶりを探っているかのように。「貧乏人だって?お前も俺よりゃ金持ちだ」と阿Qはいいながらどんどん行ってしまった。誰もが打ちしおれて、黙りこんだ。趙大旦那父子は家に帰ると、その夜は燈火をともすころまでいろいろ相談した。趙白眼は家に帰ると、すぐに腰から紙入をはずし取って、彼の女房に渡して箱の底にかくさせた。

 

阿Qのいうところでは、彼の帰ってきたのは、やっぱり城下の人に慊りないからのようであった。それは城下の人は長凳を条凳といったり、また魚の揚げ料理に微塵切りの葱を添えたりするためであるが、そのうえ最近の観察から得た彼等の欠点は、女が路を歩くとき、しゃなりくにゃりとして、あまり見っともよくないというのであった。けれどもまれには大に感心すべきところもあって、たとえば未荘の田舎者は三十二個の竹の牌を打つだけで、ニセ毛唐しか「麻醤」(麻雀のナマリ)は打てないのだが、城下でなら小僧ッ子でも上手に打つ。ニセ毛唐なんかは、城下の十何歳の小僧ッ子の手にかかったら、たちまちに「小鬼が閻魔大王の前に出た」のと同じであるという。この一くさりは、聞く人をみな恥じ入らせた。

「お前たちはだが首斬りを見たことあるめいが」と阿Qはいう「そりゃ、面白れえぞ。革命党を殺すのだ。そりゃ面白れえ、面白れいもんだぞ、......」と彼は頭をふりふり、唾のとばっちりをちょうど真正面にいた趙司晨の顔に飛ばした。この一くさりは、聞くものをみなゾッとさせた。だが阿Qはまた四方をちょっと見廻わして、ふと右手をあげると、首を伸してぼんやり聞きとれていた王鬍のぼんのくぼめがけてイキナリ打ち下ろして、

「サッ!」といった。王鬍はびっくりしてとびあがり、同時に電光石火の速さで頭をひっこめたが、聞く人はみなおじ気をふるい、また面白がった。それ以来、王鬍は何日も気が抜けたようになり、そしてもう再び阿Qのそばには近よろうとしなかった。ほかの人たちも同様であった。

 

普段阿Qを軽蔑し疎外する未荘の人々が、何か些細な状況の変化でその態度をあっさり宥和させるシーンがいくつかあります。これは、辛亥革命前後の騒動の中で、既存の社会構造がぐらついていること、がその原因の一つと言えるとは思います。しかしそういう環境要因は、阿Q以外の未荘の人々の「化けの皮を剥ぐ」作用をもたらしていると思います。こういう描写もやはり阿Qと未荘の同一性という印象に帰結します。 差別という現象は、差別する側に非論理的なものであれ動機がある、というのがわれわれの一般的な感覚だと思います。差別をその意味に取ると、阿Qは「被差別民」ではないわけです。

 

>>阿Qの中の未荘

阿Qの認識に目を向けると

 

「謀叛か?面白え、......白い甲、白い鎧の革命党がドッとやってきて、手に手に広刃の刀、鋼の鞭、爆弾、鉄砲、三尖両刃の刀、鎌槍をひっさげ、この祠をとおりかかるとき、『阿Q!一しょに行こう行こう!』と呼ぶ、そこで俺も一しょに行く。......

そのとき未荘のロクでもない人間どもこそ笑いものだな、土下座して叫ぶ『阿Q、命だけはお阿助けを!』誰が聞いてやるものか!第一に殺っけねばならぬのが小Dと趙大旦那だ、それから秀才も、ニセ毛唐もいる、......誰々の命を助けてやろうか?王鬍はまず助けてやるべきだが、でも駄目だ。......

 

と、この認識の中にも先述の無差別性が認められます。阿Qに向けられた軽蔑や嫌悪も、こういう種類の感情だったと思います。そして最後には、そういう信念のない悪意が、阿Qが昔遭遇した野生の狼の姿になって、阿Qの皮肉と魂を喰らい尽くすというわけです。この信念に基づかない排他性、攻撃性というのが中国人の本性に近い部分に位置し、そのロジックに忠実に従って生き、死んだキャラクターが阿Qのシナリオ上の意味なのだと思います。

 

その刹那である、彼の思想はまたまるで旋風のように頭の中を一転した。四年前のことだった、彼はいつぞや山の麓で飢えた狼に出会ったが、狼は近よりもせず遠のきもせず、いつまでも彼にくっついてきて、彼の肉を食おうとした。彼はそのとき死ぬほど魂消たが、幸い手に一丁の薪割をもっていたので、やっとそれを頼りに胆っ玉を太くして、持ちこたえ、未荘まで帰りつくことができた。だがいつまでもあの狼の眼は忘れられない、凶悪な、おびえたような、キラキラする二つぶの鬼火が、遠くから彼の肉体に食いこむような。だが今度また彼はこれまで見たことのなかった、もっと恐ろしい眼を見た、にぶくて鋭い、彼のいったことをすぐに咀嚼しただけでなく、彼の肉体以外のものまでも咀嚼しようと、いつまでも遠のかず近づかず彼のあとにくっっいてくる。これらの眼たちがみんな一つになって、もう彼の霊魂に咬みついていた。「助けてくれ、......」だが阿Qは言葉には出さなかった。彼はもう両眼がまっ暗になり、耳の中でガンという音がして、全身がまるで微塵のようになって飛び散ったかと思われた。

 

>無知さ

阿Qは無論非知識人階級な訳ですが、ここでいう非知識人とはなんでしょうか。

 

阿Qは自分がまん丸くかけなかったことを恥ずかしく思ったが、しかしその人はそんなことには頓着せず、すぐにもう紙と筆とを取りあげてしまうと、数人の者が再び彼をつかまえて行って柵の中へ入れた。…(略)…輪をかいて丸くできなかったのは、どうしても彼の「行状」の上での一つの汚点であった。しかし間もなく釈然とした、彼は思ったのだ、孫の代になったら真ん丸い輪がかけるだろうと。それで彼は眠ってしまった。

 

阿Qは蓋のない車にかつぎあげられた、数人の短い上着をきた人物も彼と一しょに坐った。その車はすぐに動き出した。前方には一隊の銃を背負った兵士と自警団がいた、両側には大勢の口を開けた見物人がいた、後方はどうなのか、阿Qには見えなかった。だが彼は突然、これは首を斬られに行くのではあるまいか、という気がした。彼はハッと思った瞬間、両方の眼がくらみ、耳がグヮンと鳴って、気が遠くなりそうだった。だが彼は全く気が遠くなったのではなく、時には焦々(いらいら)したけれども、時には落ちつきはらっていた。彼は考えにふけりながら、人生天地の間、多分、時には首を斬られねばならぬこともあるだろうという気がした。彼には路が分っていた、だから何だかおかしいと思った、どうして刑場の方へ行かないのだろうかと。それが引き廻しにされて、見せしめにされているのだということが彼には分らなかったのである。だがたとえ知っていたとしても同様で、彼は人生天地の間、多分、時には引き廻しにされ見せしめにされねばならぬこともあるだろうと思うだけだ。

 

阿Qの無知さは、こういう種類の無知さです。正確には知識がないのではなく、判断基準がないのです。判断基準は、我々だと一般的には物事の理由や関係を理性によって整序した体系がその用をなすでしょうし、もっと神秘的なカルチャーの社会では超越的な神の判断に基づく託宣がその用をなす場合もあるでしょう。然るに阿Qの場合、一貫して事実そのものが事実を説明しているのです。

 

彼はまた大へん城下の人を軽蔑もしていた。たとえば長さ三尺、幅三寸の板でつくった腰掛けを「未荘」では「長凳」といい、彼も「長凳」というのだが、城下の人はそれを「条凳」という。彼は思うのである、こいつは間違いだ、おかしい!と。油いための鯛には、未荘では五分くらいに切った葱を添えるが、城下では微塵に刻んだ葱を添える。彼は思うのである、これも間違いだ、おかしい!と。だが未荘の者はまったく世間を知らない気の毒な田舎者であることよ、彼等は城下でする魚の揚げ料理を見たこともないのだ!

 

この種類のロジックは、未荘の人々にも広く蔓延しているものです。

 

奇妙な話であるが、その事件があって以来、人々はどうやら特別に阿Qを尊敬するようになった。これは阿Qの方としては、彼が趙大那の父親だからだと思ったのかも知れないが、しかし実際はそうではない。未荘の一般のならわしとして、もし阿七が阿八(阿七、阿八ともにそこらにころがっている人間の意味)を殴ったとか、あるいは李四が張三(李四、張三も普通そこらにころがっている人間の意味である)を殴ったというようなのは、これまで何も問題になることではなかった。必ず趙大旦那のような有名人とかかわり合いがあってこそ、はじめて彼等の話題にのぼるのである。一たび話題にのぼったとなると、殴った方が有名である以上、殴られた方もそのお蔭で有名になるのである。間違いが阿Qにあるということは、もちろん言うまでもないことだ。どうしてかといえば、それは趙大旦那の方は間違うことなどあり得ないからである。ただ阿Qの方に間違いがあるのに、どうして人々はまた彼を何か特別に尊敬するのであるか?これはしかしむずかしい問題であるが、あれこれ想像してみていえることは、阿Qが趙大旦那の親類筋だといったために、殴られはしたものの、人々はいくらか本当ではあるまいかと思うところもあって、とにかく一応、尊敬しておいた方がましだくらいのところかと思われる。そうでなかったら、やはり孔子の廟に供えられた牛と同じで、豚や羊のように同じ畜生でありながら、聖人が箸をつけたものである以上、弟子たる儒者たちは無暗なふるまいはしないといったようなものである。

 

輿論はというに、未荘では一致していて、もちろん阿Qが悪い、銃殺されたのは彼の悪い証拠だ、悪くなかったらどうして銃殺されるようなことがあろうとみないった。

 

阿Qと未荘や城内の阿Qを取り巻く社会の同一性の源泉というのもここのところにあるのだと思います。

 

先に述べたように、彼らには、信念に基づいて険しい道を選ぶ、ということがないのです。たとえその信念が稚拙なもので、その犠牲やコストが意味の薄いものであっても、それは自我や民族的な自覚の芽生えなわけです。事実自体が事実の理由になる、ということは、事実の解釈を放棄しているということです。事実が好ましいかどうかを自分の短絡的な利害を超えて目指すべき美だったり、正しい状態だったりと比べて判断することを放棄しています。

 

>民族的な自覚

本作はそういう民族的な自覚を促すことを目的としている、ということは、割とよく知られたことです。

 

民族のマイナス面として典型化された「阿Q」を通じて、「辛亥革命」の内臓を痛烈にあばき、その失敗を教訓として民族的決意を促す主題を貫く。

- 文庫カバーの説明より

 

が、そういう状態を希求する、というのがいつだって正しいかというと疑問を感じるところです。というのも、今の日本のような平和な世の中においては、そういう信念は役に立つことよりも邪魔になることの方が多いと思います。こういう苛烈な自覚がポジティブな意味を持つのは、中国という国が、異民族の軛を脱して、自分たちとは何かを犠牲を覚悟で掴み取らなければならない局面が必要条件としてあったのだと思います。

 

>解釈の放棄

先に述べた解釈の放棄の話に戻りますが、出来事の解釈の問題に関して言えば、驚くべきことに、我々は阿Qの状態に戻ることをすら必要とする人たちなんだと思います。阿Qは、物事を解釈する基準としての理性を持たないということを先に言いました。そのために彼はより純粋に彼自体であるものに近くなる、というのも我々が普段しているように我々を超えた我々の状態を目指して、自己を否定する、ということがないからです。阿Qの悲しいところは、そうやって純粋に彼自体になった時に、その本性により近いと思われる部分に、自分や自分と同類のものに対する否定があったという点であって、これは中国人を描写した時の一つの写実的な結果だ思います。もし阿Qが日本人だったら、彼は盲目的に自分の同類を肯定し追従する人になっていただろうと思います。

 

結局理性というものはツールなのです。人がより朗らかに生きるための道具なわけです。だからその道具が、革命期の中国のように動乱の世の中においては民族的な自覚、ナショナリズムの醸成のために必要とされたり、戦後の日本のように安定した世の中で、とんがったナショナリズムや信念がいろんなところに刺さらないように不必要になったりするんだと思います。

 

我々の生命や尊厳が守られるということが保証されるまでは、ナショナリズムや信念の名の下に任意の単位で団結することが必要でも、その保証が与えられた後には、本性に従って生きることがその人にとって生きやすいはずです。本性に近いところに自己嫌悪や排他性がある人は、人と付き合わなくてもいいし、本性に近いところに群れを作る本能や社会に対する融和がある人は寄り集まって暮らせばいいわけで、そうすることが我々個人の朗らかさに資するわけです。

 

これを読んだ我々は、そういう事情の要請である時代ある国に理性の獲得を希求した人がいて、今の我々とは状況がかなり異なっていることを目の当たりにします。そのあと我々が、先に述べた所感に従って然るべき時に理性を捨てるという動きをするなら、これは我々の人生にとって一つの進歩と言えると思います。というのも道具を然るべきときに捨てられる、ということは、明らかに、道具を使いこなすという営みの一部をなす要素だからです。