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『夜間飛行』サン=テグジュペリ著、二木麻里訳

>読む時期の問題

一度過去に読んで挫折していたのを再読して読み通しました。読んでみてわかったのですが、これは完全に

 

サラリーマン小説

 

だと思いました。これを抵抗なく読み通せるというのはサラリーマンとしての生き方が染みついてきたということだと思います(笑)。

 

>職業倫理

に属するアフォリズムの数々が本書のサラリーマン小説としての姿勢を鮮明にしていると思います。

 

行動あるのみの毎日にもはや生きがいを感じないなら、それは老いたということである。

決まりというものは宗教の儀式に似ている。不条理にみえても人間を鍛える。

「ひとは追い込まなければだめだ」と思っていた。「苦しみと喜びが共に待つ、強い生にむけて追い込んでやらなければだめだ。それ以外、生きるに値する人生はない」

目的がなにかを正当化することはない。だが行動はひとを死から解き放つ。

という短くてキレッキレのやつから、

 

ものごとが決するさまは奇妙だ、とリヴィエールは思った。「漠然とした大きなカが立ち現われる。それは原始林を生み出し、成長させ、支配する力と同じものだし、大きな仕事の周辺で、いたるところに出現してくる侵食力とも同じなのだ」。小さな蔓に絡みつかれて倒壊してしまう神殿を思い浮かべた。「大きな仕事というものは......」

気を鎮めようと、また考えた。「わたしはどの部下も好きだ。わたしが戦っている相手は人間ではない。人間を通じて姿を現わすものなのだ」

心臓がどくどくと脈うって、苦しくなった。

「自分のしていることが善いことかどうか、わたしは知らない。人生や正義やかなしみの、その正確な価値もわかりはしない。ひとりの人間の喜びにどのような価値があるのかも、知りはしないのだ。わななく手や、憐れみや、優しさの価値も......」

そして夢想した。「生はあまりに矛盾に満ちている。およそ生きることに関するかぎり、なんとか折り合いをつけて努力していくことしかできないのだ......。命はそれでもつづいていく、それでも創られていく。滅びていく体とひきかえに......」

わたしが責めていたのは彼ではない、彼の心をよぎったものだ。未知のものを前にしたときに万人の足をすくませる、あの抵抗感のほうだ。もしあのまま話を聞き入れて、相手の気持ちに寄り添ったうえ、冒険譚をまともに受けとめるようなことをしていたら、本人は神秘の国から生還したのだと自分でも思い込んでしまうだろう。だが、ひとを怖がらせる唯一のものが神秘なのだ。

「自分は何の名において、そこから二人を引き離したのか」。何の名において、個人としての幸福を剥ぎとったのか?最優先されるべき原則は個の幸福を守ることではないのだろうか?だが自分がそれを破壊したのだ。とはいえあらゆる金色の聖域は、いつかは蜃気楼のように消滅してしまう宿命にある。リヴィエールよりさらに無慈悲な、老いと死に破壊されるからだ。おそらくは救うべき別の何か、より永らえる何かが存在するのだ。おそらくは人間のその領域に属するものを救うために、リヴィエールは働いているのではないか。そうでなければ、この活動を正当化することなどできはしない。

という長くて思索的なやつまで、かなりの充実ぶりを見せていて、自分は割とアフォリズムが長くても苦にならないタイプなので、長い方の最後の引用が割と好きです。

 

>>救うべき別の何か、より永らえる何か

というものについて直感的にピンとくるというのが、本書を挫折なく最後まで読めた最大の要因だと思います。仕事の意味というのはいろんなサラリーマンに繰り返し定義されてきた問題でしょうし、一人のサラリーマンの中ですら彼のポジションによってその定義は随時微修正がされていくものだと思います。しかしその中でこの「より永らえる何か」を絶えず探している、というのは非常によくわかります。

 

仕事の目的といわれて最初に思いつくのがお金だと思いますが、この論理にはあまり納得したことがありません。というのも、生活保護を受けたり、親のすねをかじったりすれば、仕事をせずにいても生きていくだけのお金を得る方法はあるかもしれないからです。仕事をするかどうか考えた時とか、仕事をするのが嫌だと思った時に、そういうニートとか生活保護とかが仕事と同列の選択肢として出てくるというのが納得できない、そういう選択肢で生活するお金を満足させたとしても何かが足りないと思う感覚、これこそ「より永らえるもの」からの呼び声だと思います。就活生のときに模範解答として例示されていた、人に感謝されることとか、人の笑顔とかにも共感できません。感覚的な納得できなさもありますが、仕事内容によってはエンドユーザの顔が見えないときや、客が嫌がるけど必要な仕事をしているときなど、こういう報酬が満足されないケースというのは割とすぐ思いつくので、これを第一のモチベーションとしてしまうのは脆いのでは、と思います。

 

わたしにとって仕事の意味というのは、自己言及的ですが仕事が進むことだと思います。何かが成し遂げられること、発展することとも言えます。アランの幸福論の中に、こういう言葉があります。

 

心を喜ばす冨は、さらに計画や仕事を要求する富である。それは農夫がほしがって、やっと自分のものにした畑のようなものだ。

この職業倫理に関するアフォリズムは本書のキャラクター「リヴィエール」の言動から引用したものですが、このキャラクターの哲学がまさにそういうことで、まさに「行動はひとを死から解き放つ」わけです。前進していった先にあるものではなく、前進の中にあるものこそ至高、人より永らえる何かなわけです。

 

>安息

このように前進を続ける苛烈な生の中にあっても、休息や家庭が人にとって癒しであるという事実もまた一つの真理です。

 

ひとは一度なにかを選び取ってしまいさえすれば、自己の人生の偶然性に満ち足りて、それを愛すことができる。偶然は愛のようにひとを束縛する。ファビアンは末永くここで暮らし、永遠のなかから自分の取り分を得ようと望むこともできたろう。

…(略)…

だが着陸してみるとファビアンは、自分がほとんどなにも目にしてはいなかったことに気づくのだった。そのまなざしに映ったものはただ、村の石壁のあいだを行き来するいくつかの人影の緩慢な動きにすぎなかった。この村はじっと動かないまま、その情熱を秘めつづけている。村は優しさを与えることを拒んでいるのだ。その優しさを手に入れようと望むなら、ファビアンは飛ぶという行動を断念するしかなかったろう。

その弱々しい声、これほどに悲痛な歌、だがそれは敵なのだった。仕事上の活動も、個人としての幸福も、すこしずつ分かちあえるようなものではない。つまり両者は対立することになる。この女性もひとつの絶対的世界の名において、みずからの責務と権利のもとに語っていた。夕食のテーブルを照らすランプの輝きの名において、愛する者の肉体をもとめる肉体の名において、希望や優しい愛撫や思い出の生まれる場所、それらすべての名において語っていたのだ。彼女は自己の幸福の権利を要求していた。そしてそれは正当だった。リヴィエールもまた正当ではあったのだ、それでもこの女性のもつ真実にはとうてい太刀打ちできなかった。

「仕事上の活動も、個人としての幸福も、すこしずつ分かちあえるようなものではな」く、職業倫理と家庭は対立する宿命を背負っているというのが、まさに「生はあまりに矛盾に満ちている」状態のことだと思います。

 

>苛烈な生の帰結

その矛盾を解決するわけではありませんが、本書では苛烈な生の行く先に超俗的な境地をおくことで、仕事に対する強い主張をしています。

彼らは勇敢な旅の聖性を理解せず、ただおおげさに感嘆してみせる。そんな感嘆は旅の意味をかえって歪め、人間を卑しめることにしかならない。だがペルランは、日の光のもとにかいま見た世界の真価を誰よりもよく理解していて、世俗的な賛嘆を深い侮蔑とともにしりぞける気高さをそなえていた。リヴィエールも賞賛はした。「いったいどうやって切り抜けたのかね?」そして、鍛冶屋が鉄床(かなとこ)の話をするような素朴さで相手がフライトを語ったことを、好ましく思ったのだった。

特に殉職するファビアンの見た雲上の世界と、ファビアンの死の清廉さの描写が息をのむ美しさです。

 

浮かび上がった瞬間から、郵便機は異様なほど静謐な世界のなかにあった。静けさをかき乱すひと筋のうねりさえなかった。突堤を通り抜けて湾に入ったはしけ船のように、慎み深く鎮まった水域に浮かんでいたのだ。飛行機は、空のなかの誰も知らない隠された場所に入り込んでいる。そこは至福に満ちた島々のひそかな入り江に似ていた。嵐は下界で二○○○メートルの厚さの別世界をつくっている。猛烈な疾風と豪雨と雷の世界だ。それなのにこの世界は、天空の星々にむかって水晶と雪でできた顔をみせているのだった。

明日からすこしずつファビアンの死が始まる。こののち虚しいものになるさまざまな行為のひとつひとつ、物のひとつひとつの内側で死が始まっていく。そしてファビアンはゆっくりと自分の家から去っていくのだ。

 

>まとめ

矛盾を承知でやはり力の呼ぶ方へと進もうとする本作は、われわれが矛盾に悩むときにこそ読むべきだと思います。創作作品のテーマや構成が古来からの繰り返しである、というのはよく言われることですが、それでもやはり創作作品を読むことに価値があるのはそういうわけで、いろんな登場人物の振る舞いや哲学をまねたり、創作作品の中で起きることを自分の生活に当てはめて考えたりすることで、それが自分の生活の励みになるからだと思います。

 

本作では仕事に取り組むことの美しさの外に、夜間飛行の中で見られる美しい風景についても多くの描写があります。こういうこともわれわれに無関係ではなく、やはりわれわれの仕事のなかにもそういう美の瞬間というのがあるはずだと思います。自分の感性が最もよく共鳴する美を含む仕事が天職ということになるのだと思いますし、今目の前の仕事の中にある美だって見つけるわれわれにとってやはり独特のものだと思います。そういう形で仕事に向かう人たちを勇気づける作品であると感じました。