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ホラーというジャンルについて

ホラー映画が好きでよく見るのですが、ホラーというジャンルはかなり作るのが難しいだろうなあ、と、見てて思います。

■ホラーを構成する2要素

ホラーと呼ばれる作品を考えた時、どの作品にも共通して二つの側面があることは、割と明証的に知れると思います。すなわち、

①感覚的側面

②論理的側面

の二つです。

 

 

①感覚的側面

は非常に直感的で、例えば井戸から這い出して来る髪の長い白い服の女、であるとか、ブリッジで階段を駆け下りる人、といった、視覚的恐怖を催すモチーフ、あるいは、突然大きい音を出す演出や、不協和音を使ったBGMというような聴覚的な恐怖を想起させるもの、お化け屋敷というコンテンツも一つのホラー作品である、というとらえ方をしたときに、蒟蒻を人にぶつけて触覚的恐怖を想起させる、というような古典的な方法もこれに類すると言えます。

 

②論理的側面

は逆に少し小難しい話で、話に出てきた女のオバケは実は心残りがあってオバケになっていたんだ、というような設定がこれにあたります。ホラー作品以外の作品においても、設定や話の意味というのは重要です。人間の感情や認識に深く切り込む設定になればなるほど、その作品が価値のある作品になる、ことが多いと思います。しかしホラーに関しては、この設定の良しあしというのがほかの作品と少し異なっていると思います。というのがこの記事で言いたいことです。

 

■ホラー作品にはどんな論理がのぞましいのか

①の感覚的側面についてもいろいろ研究されていて、おもしろいなと思うのですが、今回考えたいのは②の論理的側面のほうです。まず

 

未解決、不可解である

 

というのはにいいホラーの要素であると言えると思います。これの逆をいうと、「なんかオバケが出たんだけど、お化けの恨みのもとになっているものを治してあげると、成仏した」とか、「オバケが出たんだけど、一定のルール(例えば苦手なものがある、とか)に従ってふるまうと、退治できた」というような趣旨の作品になります。これは感覚的ホラーの側面を持っているとしてもアクションやサスペンスに分類されるべきもので、謎(とその解決)を主題しない、というのが正しいホラーの方向性だと思います。

 

たとえば「リング」という作品は、作品の中に「恨みのもとを治してあげる」行為が出てくるのですが、この行為が物語の中心の事件の解決にはなっていない点が非常にポイントです。リングの呪いへの対処法はそんな理解可能なものではなく、「ビデオをダビング(死語)してほかの人に見せる」という全く意味不明、不可解なものなのです。このように理解可能なアプローチはホラーにおいては噛ませ犬的に使われることが近年では多いように思います。

 

根底に悪意がある

 

再度リングの例を出しますが、「ビデオをダビングする」と助かるという仕組みは何を意味しているのでしょうか。この仕組みの上では、人が死ぬか、(別の人を殺しうる)呪いのビデオが増えるかの選択肢しかないのです。仕組み自体の根底に闇雲な悪意があることがわかります。この不可解の根底に確かにある悪意もホラーの一つの要素だと思います。この作品に限らず、ホラーの作品において、登場人物が私生活に問題、悩みを抱えるという設定は非常によく見られます。この問題が、お化けを生み出す理解可能な形の原因になってしまうと先述の通りまずいのですが、悪意、悩み、不安などよくないことがあって、説明はできないけどそれと関係しているかもしれない、という距離感がここで言いたい「根底に」悪意があるということです。

 

例えば「壁男」という作品において、壁男が出るという建物が取り壊されて、女の子が悲しげに「壁男は死んじゃったの?」と主人公に問うシーンがあります。主人公は当然、大丈夫だよ的な慰めの言葉をかけるのですが、女の子から帰ってくる言葉は「死ねばいいのに」です。この女の子は壁男が人気を博するようになったバラエティ番組に反感を持つテレビ関係者の女性の娘であり、この女性は主人公と社内でライバル関係にあることがほのめかされています。このシーンに関して確かな情報は少ないですが、主人公のライバルが家で壁男に対する何らかの否定的な見解を述べて、女の子の心に悪意が芽生えた、と解釈することができる作りになっています。悪意とその原因の緩やかなつながりという意味で非常によくできたシーンだと思います。

 

■その論理が引き起こす結果

 

先述の様な、不可解、悪意を目の当たりにしたとき何が起きるのでしょうか。そのことが

心に引っかかる

のです。視聴者の心に引っかかることができれば、そのホラー作品で起こる超常現象に関する描写が非常に意味を持ってきます。気になっているときに、気になっているもの、この場合悪意や超常的なもの、具体的にはオバケ、が見えるというのは現実でもしばしば起こりえます。幽霊の正体見たり枯れ尾花、というやつです。ですので視聴者の心に引っかかった作品が、そのあとにオバケを登場させる、というのはかなり現実に寄り添った表現になるということができます。この時視聴者は作品の中の不条理の世界に感情移入していて、この心の引っ掛かり、とその後の超常現象を感情移入のためのステップとして持つものがホラー作品であり、ホラー的手法であるということができると思います。

 

■まとめ

ホラーとは、読者の心の引っ掛かりとその後の超常現象の観測を示して読者の感情移入を実現するという方針、またはその方針を持つ作品である

 

下記の作品に言及しました。