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『FRANK -フランク-』

コミカルな設定とテイストを持ちながら、人間の中の社会的な部分と反社会的(犯罪的な意味ではなく理屈を超えているという意味で)な部分の境界を問うた重厚な作品だと思います。

 

■ジョンを誘ったのはフランク

ジョンというキャラクターは、そのキャラクター自体に意味はありません。平凡で、才能がないけどサクセスを夢見ている、全体として普通の人間です。この普通の権化の様なジョンを、フランクはバンドに誘っています。フランクはジョンに何かを感じてバンドに誘ったわけです。具体的には

 

ジョンの普通さに「共感」して、バンドに誘った

 

のだと思います。この、ジョンとはおよそ対照的な、非凡の権化のようなフランクが、ジョンの普通さに共感した、というのはこの作品の重要なポイントだと考えます。つまり、非凡な人も、平凡な部分を持っているのです。バンドに誘われて以降のジョンの最高にダサい行動(練習の様子をYoutubeに投稿したり、ツイッターで近況を報告したり)をフランクに共感する他のメンバーは糾弾しますが、フランクは終始ジョンに宥和的です。これは先に述べた通り、フランクにしてみればジョンは期待通りの働きをしてくれている、ということになると思います。

 

■お面を外そうとする

ジョンの暴走で、メンバーは離れていき、ライブも最悪の形で失敗し、フランクとジョンの二人だけになって、二人の間に生まれた諍いのシーンは非常に象徴的です。二人の差異、ジョンと他のメンバーの差異が非常によくわかります。フランクのお面を外そうとする、といういかにも凡人丸出しのこの衝突の仕方から、ジョンはフランクについても普通の理解の仕方しかしていないことがわかります。ジョンに言わせれば、フランクの音楽的才能はすごいけど、お面は邪魔だし、なにより

 

普通じゃない

 

から外せというわけです。ほかのバンドメンバーたちは、フランクの反社会的な部分の惹かれ、心酔してついてきたメンバーで、彼らに音楽的な才能はなくても、お面について理解はしていました。だから彼らはフランクの顔を知らなくても平気だし、知りたいとも思わないのです。理解できないことを受け入れる、という概念は、創作の世界で「ネガティブ・ケイパビリティ」というそうですが、彼らにはそれがあったわけです。対照的にジョンは自分の理解できることしか受け入れられません。アルバム収録の共同生活中も、しきりにフランクのお面の下の素顔について気にして、野暮極まりない質問を繰り返しメンバーをうんざりさせ、その終着点がこの諍いなのだと思います。全くジョンの才能のなさには納得の一言ですが、この後の決裂は当然と言えるでしょう。お面はフランクにとって神聖不可侵なものであり、フランクがジョンの前から姿を消してバンドは散り散りになります。

 

■フランクがお面をつけずにバーで歌うラスト

この作品は、上記の悲惨な決裂の後を丁寧に描いている点が素晴らしいと思います。今度の失敗で懲りたジョンは、行方不明になったフランクを探し出し、歌えなくなった彼をかつてのメンバーに引き合わせます。メンバーの演奏とともに音楽を取り戻したフランクを見届けて、ジョンがその場を後にするというラストです。まず、このエンドはジョンにとって一つの踏ん切りになっている点が素晴らしいと思います。欲をかいて失敗しましたが、彼は責任を果たした、あるいは、果たそうと最大限努力したということができると思います。自分の行動に納得のいく形で終止符を打つと、自分の一連の行動とそれが内外に引き起こした一連の事件を冷静に眺めることができると思います。今回の事件からジョンが感じることは、自分の才能のなさかもしれませんし、マネジメントのまずさかもしれません。音楽を続けるのか、サラリーマンに戻るのか、どのように選択するにしても、今回の事件はその選択の糧となると思います。

 

さらに、このエンドはフランクにとってもターニングポイントになっていると思います。彼はこの演奏で、お面を外して歌っている、というのは、注目すべき点です。創作作品において、お面というメタファーの解釈は一般的に、人格的仮面(ペルソナ)を指し示すことと思いますが、本作もその解釈で問題ないと思います。つまり、

 

お面をかぶったフランクは、自身の音楽の世界のような、超俗的な主義主張を持つ素顔の上に、ミュージシャンとしての成功、名声といった世俗的な欲求の仮面がかぶさっている状態

 

なのだということができると考えます。エンドではその仮面が外れている、しかもその状態で音楽をして、自分に共感してくれて一緒に音楽をする仲間もいて、要するにフランクはよりフランクらしく振舞うことができるようになっていっています。ジョンの加入からライブの失敗までの一連の騒動が、フランクのなかでも消化されて、心に傷を負いながらも仲間と出会い直し、歩き直していることがわかり、非常に感動的で素晴らしいラストだと思います。

 

■フランクの才能について

フランクの才能について触れた描写が、彼の支持者であるバンドメンバーや、ジョンによる評価しかないので、フランクの音楽的才能が本物であるかどうかは明らかではありません。この、最終的な判断が保留にされる、というのも、とりもなおさずネガティブ・ケイパビリティの一つだと思います。フランクが、再び音楽シーンに返り咲くのか、田舎のバーの専属バンドで終わるのか、それはわからないし、正確にはその二つの状態がどちらも正解なのだと思います。現実の世界にいるフランク的な人々のなかには、音楽シーンに返り咲く人もいれば、田舎のバーの専属バンドを続ける人もいるという意味で、このラストは非常にリアリティがある、といえます。