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『イソップ寓話集』中務哲郎訳

子供の頃童話の本でイソップの名前を知って、その印象が強かったので、イソップ=童話作家のようなイメージだったのですが、本作を読んでひっくり返りました。男女の情事の話や、動物の話と見せかけた都市国家間のマキャベリズムの話などがあって、またイソップ自体レイシストな側面があり、思っていたより過激でした。印象的だった寓話を引用します。

 

■共感

 

山羊飼と野生の山羊

山羊飼いが山羊を牧場へ追って行ったが、野生の山羊が群れに紛れ込んだのを見てとると、夕方になるのを待って、みんな一緒に自分の檻に追い込んだ。翌日はひどい嵐になり、いつもの牧場に山羊を送り出すことができないので、家で世話をすることにして、自分の山羊には飢え死にしない程度のわずかな餌しかやらず、お客さんたちには、これも自分のものにしてやろうと、たっぷりと盛ってやった。さて、嵐もやんで、一匹残らず牧場へ連れ出したところ、野生の山羊は山まで来ると、逃げて行こうとした。過分の世話を受けておきながら去っていくとは恩知らずな、と牧人が非難すると、野生の山羊は振り向いてこう答えた。

「いや、それだから余計に警戒するのだ。あんたは昨日来たばかりの我々を、昔から一緒にいる者たちよりも大事にした。それなら、あとでまた別のが来ると、あんたは我々よりもそいつらを贔屓するに決まっているからさ」

知り合いでまさにこういう人がいるんですが、そういう人は紀元前のギリシャの時代からいたようで、非常に感慨が深いです。やたらと身内さげをして笑いを取るタイプの人はこれだと思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

尻尾のない狐

狐が罠にかかって尻尾を切り取られた。恥ずかしくて、生きていくのもつらいほどなので、他の狐にも同じようにさせねばならぬと考えた。皆を同じ目に遭わせて、自分のぼろ隠しをはかったのだ。こうして全員を集めると、こんなものは不細工なだけでなく、余計な重みをくっつけていることにもなると言って、尻尾を切り取るように勧めた。すると、中の一匹がさえぎって言うには、

「おいおい、そこの奴、もしそれがお前にとって都合の良いことでないのなら、我々に勧めはしなかったろうよ」

善意からではなく自分の都合から隣人の忠告を与える人に、この話は当てはまる。

この前ネット上で、首をぽきぽき鳴らしすぎて体に障害が残った人が、他の人にしきりに首を鳴らすと気持ちいいと勧めていたのを思い出しました(笑)誰かを道連れにしたい気持ちがいまいちよくわかりませんが、特大の不幸に見舞われるとそういう気持ちになるのかもしれません。またこの現象をもっと広く解釈して、道連れ願望以外の自分の都合も含めると、人がする忠告というものは結構自分の都合から発せられている、と思います。例えば自分の選択が正しかったと信じたいから同様の選択を人に勧める、というようなことです。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■うまい

農夫と息子たち

死期の迫った農夫が、息子たちを一人前の農夫にしたいと思って、呼びよせてこう言った。

「倅たちや、わしの蒲萄畑の一つには、宝物が隠してあるのだぞ」

息子たちは父親の死後、鋤や鍬を手に取って、耕作地を隅から隅まで掘り返した。すると、宝物は見つからなかった代わりに、葡萄が何倍もの実をつけた。

人間にとって、苦労こそが宝物だと、この話は解き明かしている。

ウィットに富んでクールな寓話だと思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

内臓を吐く子供

野原で生贄の牛を焼く人たちが隣人を招いた。その中に貧しい女がいて、子供も一緒にやってきた。宴酣(えんたけなわ)の頃、この子は延々と内臓と葡萄酒をつめこんでいたものだから、おなかがはち切れんばかり。術なくて、

「お母さん、内臓を吐くよう」というと、母親が答えて言うには、

「坊や、それはお前のではなくて、お前が食べた内臓だよ」

借金をする人に、この話は当てはまる。他人のものはいそいそと受けとるくせに、返す段になると、まるで自分の懐から出すように、機嫌が悪くなるのだから。

まとめが秀逸です。子供が普通に葡萄酒飲んでます。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

ライオンの中の狼

狼の中にひときわでかいのがいて、ライオンと綽名されていた。思慮が足りず、その誉だけで我慢できずに、同類を見捨ててライオンの仲間入りをしようとした。狐がからかって言うには、

「お前の今のいかれっぷりほど、良い気になりたくないもんだ。お前は狼の中では本当にライオンに見えるが、ライオンと比べりゃ、狼だ」

うまいですねー。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

波を数える男

ある男が波打ち寄せる浜辺に座って、波を数えようとした。数え損なって落胆し悲しんでいると、狐がやってきて言うには、

「おじさん、どうして過ぎたもののために悲しむのかね。そんなものは忘れて、今ここから数え始めるべきなのに」

激アツですね(笑)なぜか急に狐が熱血教師みたいなキャラになっています。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

■切ない

騾馬

仕事もせずに飼葉桶の餌を食べるばかりの過食症の騾馬が、駆け出したかと思ったら、首筋を振りたてながら、

「俺のおっ母は馬だが、駆けっこならおっ母にも負けないぞ」と叫んだ。が、突然首をうなだれて、走るのをやめた。父親が驢馬であることを思い出したのだ。

ひとりで完結しているのが心に沁みます。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

禿頭の騎手

災難に見舞われたとて苦しむなかれ、ということ。生まれながらに持っていなかったものは、いつまでもあるわけがない。我々は裸で来て、裸で去っていくのだ。

禿頭の男が、鬘をつけて馬に乗っていると、風が吹いて、鬘を攫っていった。周りの人たちは大笑い。男が馬を止めて言うには、

「わしのものでもない髪がわしから逃げたとて、何の不思議があろう。一緒にこの世に生まれて来た、元の持ち主さえ見捨てた髪ではないか」

また髪の話してる…

前半のなんかカッコイイ哲学的考察が笑いを誘います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆