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『とぶ教室』ケストナー著、丘沢静也訳

クリスマス前のギムナジウムを舞台に、そこの生徒たちの戦いと友情を描いた作品です。

訳者解説に、

ケストナーは多くの読者に愛され(たから?)、多くの批評家や研究者からうとんじられた。現在もそうだ。読めばわかるから、研究者や批評家の出る幕があまりない。

とありますが、その通りで、読めばわかる作品でした。

 

 

■引用と感想

以下、印象的な部分を引用して適宜感想を書きます。

人形が壊れたからでも、あとで友だちを失ったからでも、泣く理由はどうでもいい。人生で大切なのは、なにが悲しいかではなく、どれくらい悲しいか、だけなのだ。

導入部分である、前書きからの引用です。本書のコンセプトをよく表していると思いました。学園祭で上映する有志劇や、隣の学校との抗争、家族で過ごすクリスマスといった、大人から見れば取るに足らないことが、子供たちにとっては大事件であり、人生そのものであるということだと思います。自分も小学生の頃給食が食べきれないことを本気で悩んでいたので非常によくわかります。

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

人生はとんでもなく大きなグローブをはめているものだ。心の準備がないまま、そんなパンチをもらったら、あとは小さなハエが咳をしただけで、リングに長々と伸びてしまう。いいかな、元気を出せ。打たれ強くなれ。

同じく前書きからの引用です。なんかカッコイイ。

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

マルティンとジョニーは黙って、菜園ブロックのあいだをどんどん走った。ギムナジウムの垣根のところで立ち止まり、息をついた。二人は何も言わなかった。けれども垣根を超える前に、がっちり握手した。それは、無言の約束をしているようだった。言葉では全く言えない約束を。

このシーンは、学校の恩師に恩返しをする企画を成功させた二人が、その企画の成功を祝うシーンです。声をあげてはしゃぐ代わりに、子供らしからぬ無言の握手というところが、二人のこの企画に対する真剣さの証左であり、また自分たちの仕事の神聖さや、それに携わる誇りのようなものを感じさせるいいシーンだと思います。

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

いいかい、今回の骨折なんか大したことじゃないんだよ。みんなから一人前じゃないと思われてるんじゃないかと、あのチビが一生のあいだずっと心配しつづけることに比べればね。

あのチビと言われているのは、弱虫のウーリです。彼は自分の勇気のなさに思い悩んだ末に、梯子の上から蝙蝠傘のパラシュートでダイブするという暴挙に出、足を骨折します。ウーリの容態が安定して、生徒と仲良しの先生「正義さん」が今回のことを受けて言った言葉です。正義さんが、学校における秩序や規律といったものよりも、それぞれの生徒の感じる世界の方に寄り添ったものの見方をしていることがわかります。そんなところが、正義さんが生徒に支持される理由なのだと思います。

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

梯子から飛び降りたとき、ウーリはそれまでより勇敢になったわけじゃない。絶望に駆られて飛び降りたのさ…ウーリの方が恥を知ってるってことなんだよ。…これまでにさ、僕に勇気があるかどうか、考えたことってある?ぼくが臆病者だって、気づいたことある?ぜんぜんないよね。だからこそここだけの話だが、僕って、ものすごい臆病者なのさ。でもね利口だから、誰にも気づかれないようにしてるんだ。ぼくはさ、勇気がないからって、特別に悩んだりしない。恥ずかしいとも思わない。それもまた、僕が利口だからなんだ。どんな人間にも欠点や弱点がある、ってわかっているからさ。その欠点を気づかせないようにする、ってことだけが問題なんだよ」

…「恥ずかしいと思うほうが、僕はいいと思う」と、7年生が言った。

「僕もだ」と、ゼバスティアンが小さな声で言った。

先のウーリの飛び降り事件は、生徒たちの話題の的になり、この発言は事件を受けて、頭のいいゼバスティアンが言ったコメントです。普段如才なくふるまっているゼバスティアンが実は孤独を抱えていること、ウーリのように抱えきれずに爆発して賭けに出るのではなく、利口に自分の中で折り合いをつけていることを一瞬のぞかせるシーンです。前半の、自分の弱さを自覚してそれを特別変えようとも思わず、うわべだけ整えて生きていくオトナな部分と、自分の弱さを羞恥して変革したく思うコドモな部分が彼の中で混在していることがわかり、共感を呼びます。

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

夜中の12時をすぎてから、二人は町を横切って家に帰った。ギムナジウム時代のことをたくさん思い出した。あれからずいぶん時がたった。だがすべてはこの町で、今夜一緒に歩いているおなじ通りで起きたことだ。20年前、一緒に教室にすわっていた仲間はどうしているのだろう。何人かの消息は知っているが、そのほかの仲間のことはわからない。頭上には星がまたたいていた。当時とおなじ星だ。

正義さんが、当時の同級生「禁煙さん」との再会ののちに自分が青春時代を過ごした街を歩きながら回想するシーンです。街並みや星といった不変のものと、当時の同級生の消息という移ろいやすいものの対比が美しい一節です。

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

■結局

クリスマスという時期は、子供たちにとっては楽しみなものです。プレゼントがあり、おいしいごちそうやケーキがあり、ギムナジウムの生徒にとっては両親と会える日です。そんな子供たちの喜びの日であるクリスマス祭に、子供たちが上演する自主制作の劇が「とぶ教室」です。この劇は、教室に居ながらにして、時空をまたいで、現場検証しながら歴史の授業ができる近未来の学校の様子を描いたものです。この劇の内容が子供たちの未来に対する祝福であり、また子供たちが、未来は良くなっていくと信じる気持ちなのではないかと思います。今やオトナな私もそんなふうに考えていたことが確かにあったと記憶しています。かつて無知と希望で自由に想像していた幼い日の記憶の呼び水となるような作品だと思います。