『微笑がえし』阿木燿子作詞
先日友人に上記の曲を進められたので、聞いてみたところ非常にすばらしい曲でした。
この曲は主人公の女性である「私」と、付き合っていた彼氏の「あなた」が、同棲していた住まいを引き払う話です。周囲の人たちから引っ越し祝いをもらって、そのお祝い返しをするという描写から、二人の関係は周囲の公認のもので、周囲からはそんな二人が順風満帆な新生活をスタートしたように見えたであろうことが伺えます。
その二人の同棲の解消には二人にしかわからないやんごとない事情があるのでしょうが、その事情をいちいち説明することなく、表向きは引っ越しにまつわるこまごまとした情景の描写に終始しています。しかし、その中に二人の歴史、「私」の思いを感じさせる印象的なモチーフがちりばめられていて、それがこの作品のすごい所だと思います。
例えば、
机本箱運び出された荷物のあとは
畳の色がそこだけ若いわ
タンスの影で心細げに迷子になった
ハートのエースが出てきましたよ
というのは出来事としては引っ越しの際にありがちな所感、気づきなわけですが、その部屋で暮らした二人の歴史を強く感じさせる表現です。
また、
おかしくって涙が出そう
というフレーズは語り手である「私」の心情をよく表した文であると言えるでしょう。「私」がおかしみを感じている出来事は、直接的には「彼氏が引っ越しの掃除ですすだらけになっていること」「彼氏がシャツで顔をふいていること」「彼氏が家のカギをさかさまに閉めようとしていること」です。ここでポイントなのが、これらの出来事が、
わざわざ言うほどおかしくない
という点です。全体の歌詞から察するに主人公の女性は妙齢の女性で、箸が転げてもおかしい女子高生じゃあるまいし、これらの描写で「涙が出そう」なほどのおかしみを感じるというのは不自然です。二つ目のポイントは、
彼氏を見ている
という点です。それほどおかしくない振る舞いをする「彼氏」を見ていると(自称)おかしくって「涙が出そう」なわけです。これは、彼氏を見ると泣きそうになるのを隠そうとして「おかしくって」という理由をつけていると考えるのが自然です。二人は付き合いが進んで同棲をするような年齢です。つまり大人(アダルト)なわけです。大人になるにつれ、恋をするにもストレートに好悪の感情をむき出しにするわけにはいきません。大人としての良識、節度が必要になってくるわけです。またその恋の終わりに至っても、二人のうちどちらかがその恋の終焉に全く気付かない、という状況、恋人からの別れの切り出しが青天の霹靂となる状況はまれです。お互いが恋の終わりをどこかで感じているもので、だからこそ悲しくとも泣き喚き悪あがきをするわけにはいかないのです。しかも彼女にとって彼氏との関係は
何年たっても年下の人
との関係です。「私」は、年上として普段以上に「オトナ」としてふるまう必要のある関係性であったことが想像できます。それらの事情が彼女に、自身の感情をありのままに表出させることをためらわせているのだということがわかります。この関係性の終わりにまつわる感情を取り繕おうとする表現は、他にも、
123(ワンツースリー)あの三叉路で
123軽く手を振り
というのもそうで、あえて軽快にリズムをとって、ワンツースリー、と唱えている点、「軽く」手を振っている点がポイントだと思います。そして何より、本曲の曲調が非常にアップテンポで明るい曲であるというのも、これに類する表現の一環だということができると思います。本作のタイトルに「微笑」という語が使用されていますが、微笑というのはまさにこの心情を表すのにぴったりのワードチョイスで、
お引越しのお祝い返しは
微笑にして届けます
というのは、本曲のコンセプトである説明しなさの極致であると思います。
■結局
大人な恋の美しい終わりを、二人の取り繕ったテンションを表すかのようなアップテンポで楽しい曲調で表現しつつも、その背後の別れに対する悲しみを想像させる圧倒的切なさを持った名曲です。
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