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秒速五センチメートル

■要するに

読者様各位

新年あけましておめでとうございます。

2018年1月3日の『君の名は。』地上波公開に先立って、新海誠氏が手掛けた過去作品が地上波でいくつか放送されており、本作はそのうちの一つとして放送されたものです。この作品は過去に見たことがあって、その時も憂鬱になるほどの切なさを有した素晴らしい作品だと感じた記憶がありますが、しばらくしてみてみるとやはり色あせない印象を持った素晴らしい作品だと感じました。

本作は、

内的な体験としての恋愛

を描いた作品であると感じました。

内的な体験としての恋愛を描いた、色褪せない作品

 

 

■桜花抄における明里に対する貴樹の思い

本作は『桜花抄』『コスモナウト』『秒速五センチメートル』の三部からなり、その第一作目、『桜花抄』は、遠方に引っ越した明里に貴樹が電車を乗り継いで会いに行く話です。

明里の引っ越しが決まり、そのことを告げられた時に電話越しに明里を傷つけてしまったことの悔恨の念、天候不順により電車が遅々として進まず、待ち合わせの時間に遅れていくことをただ傍観することしかできない状況、という舞台設定によって、貴樹の明里に対する強い恋慕の情、そして思い残しを非常に強烈に描いた切なさが見どころだと思います。

ケータイもない当時、電車の遅延によって待ち合わせに遅れるも連絡手段がなく、相手がどうしているのかを心配するしかないという状況は、アナクロでありながら、しかし技術がどれだけ発達しても他人同士は分かり合えないという点において、普遍的な要素を含んでいると思います。待ち合わせ場所で時間を過ぎても待つ思い人が何を考えているのか、という問題は、時間通りに待ち合わせ場所に到着して無事で会うことができても解決されない問題であるからです。

然るに本作では、待ち合わせ場所で出会い、そののちに夢まぼろしのような時間を過ごすという描写によって、その普遍的な心配が一時的に解決されています。この雪の桜の幻想的な美しい情景は、のちの展開において重要な意味を持つモチーフです(後述します)。

貴樹の明かりに対する強い気持ち、幻想的で夢のような成功体験

 

■コスモナウトにおける、人工衛星の暗喩

二作目『コスモナウト』は、貴樹に片思いする澄田の恋が終わる話です。

この作品では、貴樹の明里に対する強い思いが、「人工衛星」に象徴されて描かれます。「暗い宇宙空間を、たった一つの宇宙の真理を目指して、一つの原子にすらめったに出会うことなく、ひたむきに進む」人工衛星は、明里に思いを抱き続ける貴樹の暗喩であり、恋が終わってから貴樹を思い続けるとすれば、澄田の暗喩でもあると言えます。澄田が貴樹は自分を見ることはないと気づき、泣き出すシーンのバックで人工衛星が打ちあがる演出は、この暗喩の意図を一層明確にしていると思います。澄田にとって、手が届かないと決まった瞬間に、暗い宇宙を旅する人工衛星的な思いの漂泊が始まるということだと思います。

貴樹を主人公とする作品全体で見た時に、二作目において重要なことは、貴樹が高校生活の部活や恋愛にわき目も振らず、明かりを思い続けているという点です。

人工衛星の打ち上げは、終わるあてのない片思いの旅の暗喩

 

■秒速五センチメートル

三作目『秒速五センチメートル』は、過去に足をとられて進めない貴樹と、新しい人生に向けて歩き出した明里の対比を示す短い作品です。

この三作目における貴樹の生活の凋落と、明里の変わり身っぷりが、本作を鬱アニメたらしめていると思いますが、再見して事態はそう単純ではないと思いました。確かに、明里の気持ちが貴樹ほど過熱していないことを示す描写は各所に見られました。例えば桜花抄にて、明里は貴樹に別れ際、「貴樹君はこれからも大丈夫だと思う」と言葉をかけます。この言い方はアツアツの二人の関係を考えると適切とは言えません。相手の幸せを祈りつつ一方で距離を置くような言い方です。また明里は貴樹に手紙を渡すことができたのにそれをしていません。あの手紙の中身は、何か二人の関係にとって破滅的な内容のものだったかもしれない、と推測することもできます。これらのことが示すように、明里が貴樹との関係に疑問を持っていて、別れたあとはすべて忘れて人生を進めていったかというと、そうでもありません。明里も雪の降る待合室の中で数時間待って、別れた後も手紙を心待ちにしていたわけですし、貴樹宛の出せなかった手紙をとっておいている描写もありました。

一方貴樹は、二部三部で見てきた通り、自身の気持ちに疑問を持つことなく邁進してきたわけですが、ここまで貴樹を突き動かす衝動の説明に、一作目『桜花抄』ラストの幻想的な雪の桜、夢のような時間の経験があると思います。あの体験の美しさは、人生をかけるに足るものであるということが、ストーリーからも作画からも伝わってきます。あの時間は、相手と分かり合えない、手が届かないという心配から解放されるという理想そのもののような体験だったわけです。しかし三作目の本作において、貴樹が散歩する道に一面の桜吹雪が散っている演出もまた、重要な意味があると思います。あの岩舟で過ごした一夜にしかないと思っていた奇跡のような光景は、実は日常の中に遍くあったのではないかと思わせるような演出だと思います。踏切で明里を振り返った貴樹が、ふたたび自分の道を歩き出すその顔は晴れやかに見えます。なのでラストは、どちらかというと鬱ではなく、貴樹にとって救いのある終わり方だったと思いました。

過去にしかないと思っていた奇跡を目の当たりにする日常

 

■恋は内的である

この作品の主張する恋愛の在り方は、何か手の届かないものに向かってやみくもに進んでいく状態、であると思います。それらの体験は、不完全であり、悔いが残り、失敗に終わるものですが、不完全な体験の中にも、印象に残る息をのむほどの美しさの風景があります。本作の表題『桜花抄』『コスモナウト』『秒速五センチメートル』はどれもそういった風景の美しさを云ったものです。それら美しい風景を十分な説得力を以て映像化したという点も本作の素晴らしい所ですが、それらの風景が印象に残る理由は、映像表現や構図の問題だけではなく、闇雲に進んだという事実、あるいは、闇雲に進んでいた時のひたむきさによるのではないかと感じました。

大幅に遅れた電車の中での焦燥感、出す当てのないメール、波に乗れたら告白するという祈り、そういうモチーフは非常に身近で、似たような内的な経験をしている人も多くいると思います。そういう体験ほどよく覚えている、その当時のにおいや景色と一緒に、そしてそれらが懐かしく輝いている、そういう気持ちを思い出す作品だと思います。

 

これです↓