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『変身』カフカ著

■要するに

ある朝目覚めると虫になっていた男と、その家族の苦悩、男の死までを描いた作品です。この作品を読む前に著者カフカについて、『絶望名人カフカの人生論』という本を読んで、カフカという人のおおざっぱな特徴は前情報として知っていました。

 

『絶望名人カフカの人生論』カフカ著 頭木弘樹編訳 - H * O * N

 

この本によると、カフカはネガティブすぎて病気になったときに生きる苦しみから逃れられると言って狂喜するほどの人物だったとのことでしたが、本作にもカフカのそんなネガティブな一面がいかんなく発揮されていて、数々の不快さの小ネタが本作のいいアクセントになっていると思います。

 

そして意外にも、割と読みやすかったです。読むまでは難解で重厚な印象がありましたが、割とすぐに作品の世界に入って行けて、最後まで機嫌よく読むことができました。

 

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割と読みやすい

 

 

■不快感の小ネタ

無視になった後の主人公「グレーゴル」が、虫としての生活の中で、家族や周囲の人間からの仕打ちに苛立ち絶望する様が非常にバリエーションに富んでいて面白いです。グレーゴルの感じる不快感やそのシチュエーションが非常に多岐にわたり、またどこか覚えがあって秀逸だと思いました。例えば、妹がグレーゴルの食事を用意するシーンと片づけるシーン、

 

妹は兄の嗜好を試験するためにさまざまなものをかき集めて持ってきた。それも古新聞紙の上にならべたてて。半分くさった古野菜、周りに白ソースのこわばりついた夕食の残りの骨、乾ぶどうに巴旦杏が少々、グレーゴルが二日まえにこんなもの食べられるかといったチーズ、なにもつけてないパン、バターをぬったパン、同じくバターをぬって塩をかけたパン。さらにそのうえ、水を入れた鉢。どうやらこれはグレーゴル専用と決めてあるらしい。

…妹は、食べのこしたものばかりか、まったく口のついていないものまでも箒で掃き寄せた。いったんここへ持ってきたからには、口のついていないものももう使い道はないと言わんばかりであった。それから手ばやくいっさいを手桶の中へ落とし込んで木の蓋をして、部屋の外へ運び去った。

 

「古新聞紙」、「グレーゴル専用の鉢」といったモチーフ、妹の差別的なふるまいが効果的に配され、家族のグレーゴルに対する嫌悪の情がわずかに零れ見える程度に描かれ、非常に巧みな描写だと思います。

 

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多彩な不快感のあるあるネタ 

■虫としての幸せ

主人公のグレーゴルは作者と同じく非常に悲観的で、突然虫になってしまったという絶望的な状況も手伝って本作の中での主人公の所感はそのほとんどが悲観的なものなのですが、そんな中主人公が幸せを感じるめずらしいシーンがあります。

 

…四方の壁や天井を縦横に這いまわるという習慣をつけて気晴らしをした。ことに天井にへばりついているのは気持ちがよかった。床の上にはいつくばっているのとはよほど趣がちがう。息も楽にできるし、軽い振動が体じゅうに伝わる。グレーゴルは天井にへばりついていて、ほとんど幸福と言ってもいいほどの放心状態におちいり、不覚にも足を離して床の上へばたんと落ちて、我ながらそれに驚くこともよくあった。

唯一幸せを感じる瞬間が、虫になったという不幸な状況の中の出来事であるというのがここのポイントだと思います。上で紹介した通り、カフカが病気になったことを生の苦しみからの解放ととらえ喜んだというエピソードがありますが、この部分の記述はそれと類似性があって、一貫して徹底的に悲観的であるがゆえに不幸の中からも発見があるというのがおもしろいと思います。

 

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不幸の中の歪な幸福

 

ニート問題

本作を読みながら、近年(と言ってもだいぶ前からですが)問題になっているニート、引きこもりの問題のことを思わずにはいられませんでした。

 

「ねえ、お父さん、お母さん」妹はこう言って、話の糸口として手でテーブルを打った。「もう潮時だわ。あなた方がおわかりにならなくったって、あたしにはわかるわ。あたし、このけだものの前でお兄さんの名なんか口にしたくないの。ですからただこう言うの、あたしたちはこれを振り離す算段をつけなくっちゃだめです。これの面倒を見て、これを我慢するためには、人間としてできる限りのことをやってきたじゃないの。誰もこれっぽっちもあたしたちをそのことで非難できないと思うわ。ぜったいに、よ」

「こいつがわたしたちのことをわかってくれさえしたら」と半ば問いただすように父親が言った。妹は泣きながら激しく手を振った。そういうことはありえないという意味なのである。

「こいつにわたしたちのことがわかってくれたら」と父親はくりかえし、目を閉じることによって、そんなことはありえないという娘の確信をわが身に納得させた。「そうだったら、こいつと話し合いをつけることだってまんざらできない相談じゃあるまいが。だがこんなありさまじゃ―――」

息子であり、兄であるグレーゴルの有害性を十分認識しながら、グレーゴルへの愛情が拭い難くある様が読み取れます。

 

虫になったグレーゴルの体長が、彼の社会との繋がりに比例して伸び縮みする、と主張している論文があります。この論文はその界隈(日本のカフカ研究家界隈)では有名な論文のようですが、それを踏まえて本作はやはりニート、引きこもりのような生活状況に、何らかの事情によって陥った主人公の心のありさまを、虫というグロテスクなモチーフを用いて印象深く描いている作品だと思います。

 

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社会からの疎外感を虫というグロテスクなモチーフで印象深く描いた作品

 

紹介したのはこの作品です↓