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おおかみこどもの雨と雪

この作品は、細田守監督の作品で、彼の時系列から言えば『サマーウォーズ』と『バケモノの子』の間に発表された作品です。それらの作品と比べると本作は細田守氏の良さがしっかり出ているいい作品であると思います。私の思う彼の良さとは、彼の描く家族観、家族愛に対する彼の見方が非常に洗練されている点で、例えばそれはバケモノの子における熊鉄と九太の関係、多々良、百秋坊と九太の関係にその片鱗を見て取ることができると思いますが、本作はそのままド直球に家族愛を描いた作品ですので、上記のような所感になるのも当然だと思います。

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細田守氏の優しい家族観がよく出ているいい作品

 

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■花の教育にみられる家族観

 

本作は母親の「花」が長女「雪」、長男の「雨」を女手一つで育てていく様を描いた作品です。細田守氏の家族観が、母親「花」の育児姿勢、教育によく表れていると思います。例えば、幼いころ病弱だった雨に対する花の態度です。雨がオトコノコなのに外で野良猫にいじめられて帰ってきて「大丈夫して」とせがむと、花は特に何も言うことなく、せがまれるままに泣く雨を撫で続けます。また山の動植物に興味を示して、学校を休んで自然観察の森に行く雨に対しても、特に何も言わずに自然観察の森に連れていきます。雪が小学校で暮らしていく中で、自分の女の子らしくなさを意識するようになった時には、「雪のやりたいようにやれば」と言葉をかけつつ、彼女のためにワンピースを縫ってあげています。

 

基本的には放置で子供の自由意思を尊重しつつ、肝心なところで手助けをしていることがわかります。

 

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■本作における狼とは何か

 

本作の最も個性的な要素は、「狼」でしょう。狼と人間のハーフがいて、狼になったり人になったりできるというファンタジックな設定の本作が名作と感じられるのは、やはりそこに何らかのリアリティがあるからだと思います。本作における狼は、「他者性」の暗喩なのではないかと感じました。

 

他者性というのはあまり使用頻度が高い語ではありませんがここでは相手の自分と違うところ、誰かのみんなと違うところの中で、ダークな色彩を持つ部分、程度の意味で使っています。最初狼は「個性」の暗喩かと思いましたが、それだけなら狼である必要はありません。本作では狼は絵本などで悪者とされ、後述しますがかかわる人を傷つけてしまうこともある存在として描かれています。ですので人間それぞれの固有な部分一般を表す個性という言葉よりも、人間それぞれの固有な部分のなかでも、攻撃性や反社会性などの「棘」の部分を特に狼という暗喩で表していると思います。

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狼は、「他者性」の暗喩

 

例えば雪が子供のころ乾燥材を食べてしまったとき、雪を小児科に連れていくべきか、動物病院に連れていくべきかで花は迷い、結局どちらにも行けずに公衆電話で相談して事なきを得るシーンがあります。これは雪の狼な部分(すなわち他者性)を人間社会が拒絶したシーンとみることができると思います。普通の子供の場合ももちろん個人個人で他者性を持っていますが、狼ほどの強烈な他者性はなく、それ故に病院にも問題なく通えるのですが、本作ではその他者性がデフォルメされ強調されて描かれているがゆえに、病院に行けないという極端なことが起こったと言えます。

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個人個人にある他者性を狼という形でデフォルメして強調して描くという方法

 

また雪が転校生のクラスメイト「草平」に必要以上に距離を詰められて、彼を殴ってしまい、保護者同伴で謝罪に臨むシーンでは、彼の口から「狼がやったんだ」という言葉が聞かれ、またその後雨と雪は自分たちが狼なのか人間なのかということで取っ組み合いの喧嘩をします。いずれも、自分の他者性を守るために(前者は他者性の秘密を守るため、後者は他者性そのものを守るためです)、他人を傷つけうることの描写だと思います。

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他者性を守るために周りの人を傷つけることもある

 

そしてラストのシーン、森に通うようになって狼としての自覚を身に着けた雨が母に別れを告げ、雨上がりの空に遠吠えるシーンは他者性の功罪を見事に描いた名シーンだと思います。花は幼少期の雨に、雨のペースで成長し、思考し歩むことを許容した正しい教育を与え、他者性を含めた雨の個性を伸ばしたわけですが、その結果雨は狼として、母と別れることを選ぶのです。たとえお互いが愛で結ばれていて、偏りのない教育を注いだとしても、他者性の部分が全く別の方向を向いていれば、別離がやってきます。花は日に日に狼としての自覚に目覚めていく雨に対してにわかに危機感を抱き、「もう山に行っちゃだめ」と「お願い」します。母として子と別れがたく思う気持ちは当然ですが、別離は訪れるべくして訪れるのです。この別離は悲しく、しかし美しい別れです。その美しさは、ラストシーンの情景、ドシャブリのあとの洗い立ての晴れ間の様な美しさであり、紛れもなく狼の美しさ、個性を個性たらしめる他者性の美しさであると思います。

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他者性による悲しく美しい愛の終焉

 

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■まとめ

 

本作が名作であるのもやはりラストシーンによるところが大きく、優しい母の愛と、子供の「狼な部分」によるその愛の悲しく美しい終焉を見事に描き切った名作だと思います。

 

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言及したのはこの作品です↓