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『モーパッサン短編集Ⅱ』(著:モーパッサン、訳:青柳瑞穂)

本読みました。

モーパッサン短編集Ⅱ』(著:モーパッサン、訳:青柳瑞穂)

 

ちょっと前にこの短編集のⅠの感想をアップしましたが、訳者の青柳瑞穂氏によると、Ⅰはモーパッサンの故郷であるノルマンディの漁村農村を舞台にした「田舎モノ」、続くこのⅡは、モーパッサンが青春時代を過ごしたパリを舞台にした「都会モノ」という分類になっているとのことでした。

『モーパッサン短編集Ⅰ』(著:モーパッサン、訳:青柳瑞穂) - H * O * N

 

1と比べると、恋愛や家族愛といった「愛」を取り扱った作品が多いように感じました。1の感想でも述べましたが、田舎モノの中で取り扱われる愛はより原始的、根源的な性質のもので、上っ面の、飾り物の愛や美は、生きていくという至上命題の前にばっさり切り捨てられるという展開が多く見られたのに対し、都会モノでは、そういった虚飾的な愛、不倫、虚栄、モラトリアム的な友情などがテーマとして採用されているように感じました。

それに加えて本物と偽物をテーマとした作品があることも特筆できると思います。テーマである愛に幾分虚飾的なものが混ざってくるので、必然的にその愛が真善美に属しているかという問題が重要になってくることは、言われてみれば当然なのですが、愛や愛から得られる効用を、ただ快いというだけで終わらせずにそこに真贋の問題を提起して試練を加えていくという態度はこれもやはりモーパッサン的だと思います。

 

特に面白かった作品は、『首かざり』、『勲章』の二編で、この二編の比較を通して、モーパッサンの作品における真贋というテーマについて考察を加えてみます。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■首かざり

 

この話は、背伸びして社交会に参加しようとした小役人の妻「マチルド」が、当日つけていく装身具の工面に苦心して、金持ちの友人から首飾りを借りるのですが、社交会から帰ってみればその首飾りがなくなっている話です。夫とともに探し回っても見つからず、似たものを購入して友人に返し、彼女と夫はその日からローンの返済に追われます。十年ののちにローンを返し終わり、生活苦が染みついたマチルドが、かつて首飾りを借りた友人に半ば八つ当たり気味に、また半ば勝ち誇った気持で当時返した首飾りはよく似た別のもので、その支払いに今まで苦労していたことを語ると、友人の口からその時貸した首飾りはまがい物で、二束三文の価値しかないことを告げられるという衝撃的ラストで締められています。

 

先に述べた本物と偽物をテーマにした話で、社交会でちやほやされたいという虚栄心から自由になれず、また友人から借りた首飾りの真贋を見抜く審美眼を持っていなかったために人生を台無しにされるマチルドが冷静に描かれています。このマチルドというキャラクターは、容姿に恵まれた美しい女性として設定されていますが、10年の生活苦によりその美しさはすっかり失われ、貧乏所帯が身につき、老け込み、友人と再会した折にはいまだ若々しく、なまめかしい友人との対比が圧倒的切なさです。

 

美しさをなくしたマチルドが、夫が仕事で留守の間に窓辺で、社交会の夜のことを一人懐かしく思い出すシーンも素晴らしい味わいです。この一夜の夜会を思い出すというモチーフは、虚栄の本質を端的にとらえた見事な描写です。虚栄とは常に思い出されるもの、夢見られるものであって、実際の生活から遊離していて、いつもギリギリ手が届かないところにあって、なお人の心をひきつけてやまないものですが、その辺を踏まえて、まさにこの不遇を託ちつつ一夜の成功を思い出すというのが描写としては最も適切だと思います。

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思い出される一夜の夜会というあこがれのモチーフ

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■勲章

 

この話は、昔から勲章をつけることに無上の喜びを見出す男「サクルマン」が、様々な試行錯誤の末勲章を手に入れる話です。サクルマンは権威も教養もないのに意見書を政府に送ってみたり、大臣に面会を求めてみたりして、そのたびごとに無視され体よく追い払われてもめげずに、というかそんな悪意に気づかずに、勲章のための運動を続けていきます。やがて妻の知り合いの代議士のコネで、勲章のための仕事を依頼され、そのために旅に出るのですが、仕事を終えて妻の待つ家に帰ってみると家のクローゼットに見たことのない外套がかかっており、外套にはあこがれの勲章がついており、件の代議士の名刺が入っていました。妻は激しく狼狽しながら、夫の功績が認められて勲章が授与されたこと、そのために外套を新調したことを説明し、サクルマンはそれを真に受けて泣き出し、後日サクルマンは「正式に」勲章を授与される、というオチです。

 

本作も真贋をテーマにした作品ですが、『首かざり』ほど悲愴な印象はなく、むしろ前半のサクルマン氏の勲章に対する熱狂と奮闘の紹介はコミカルな印象ですし、妻の浮気現場と思しき場面を目撃する下りでも、等のサクルマン氏は妻のごまかしを頭から信じ切って、真実は彼を傷つけるに至っていません。さらにオチでその後サクルマン氏が勲章を授与される前途明るい後日譚が語られるのもこの作品のカラーを決定づける要素だと思います。

 

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■真贋というテーマ

 

『首かざり』と『勲章』のカラーの対比は、真贋に対する一つの見解を示しています。すなわち、嘘は嘘と認められるまでは真実と実質的に同じ振る舞いをする、ということが言えます。『勲章』のサクルマン氏の振る舞いを例にとると、例えばサクルマン氏は妻の浮気現場と思しき場面を目撃した時点で、妻が浮気していると決め打つこともできたでしょう。しかし彼はそうせずに、妻の(疑わしい)言い訳を信じたわけです。たとえ実際に妻が浮気をしていたとしても、彼がそうする限り、妻の嘘はサクルマン氏から見て真実として振る舞い続けます。一般に、事実よりも己の認識のほうがより事実めいているということが言えます。騙されて損をする場合など、嘘を嘘と見抜かなければならないシーンもありますが、この嘘に対する態度は最適解というわけではありません。嘘かホントかわからない事柄に対して、その判断を保留して、状況の要請に従って嘘をホントとして扱うサクルマン氏的な態度も嘘に対するリアクションの一つと言えます。

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事実よりも己の認識のほうがより事実めいている

 

サクルマン氏は序盤努力をしたがそれが全く実らないシーンで、新聞社や政府から無視され、体よく追い払われますが、この時にも彼は自分の能力のなさに失望して、つまり自分の能力の真実を見抜いて、勲章を諦めることもできたでしょう。しかし、妻の浮気にしろ、自分の低能ぶりにしろ、それらは見抜かずともよい真実であると言えます。サクルマン氏にとって都合がよいという意味ではなく、見抜いても対応のしようがない、見抜いても労多く益少ない真実という意味です。こういう嘘については状況の要請に従ってホントとして扱う方が得であるということができます。

 

そのあとサクルマン氏は、勲章をもらうための努力を続けました。この努力の継続にも嘘を見抜かないという態度が一役買っていると思います。というのもサクルマン氏は嘘を見抜く努力を省いたことで、本来の目的、勲章をもらうということに意識をフォーカスすることができたであろうからです。あるいは本来の目的に意識をフォーカスしていたがゆえに、その周辺の些末なことには気が回らなかったというのが実情かもしれませんが、とにかく、嘘を見抜いて状況を想定することが、本来の目的達成のための妨げになるほどに気を散らすことがあるのは確かだと思います。

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見抜いてもどうしようもない真実は、ほっといた方がいい

 

『首かざり』の主人公「マチルド」は、まがい物の装身具に騙される形で人生を台無しにしてしまいますが、彼女の行動はどこに誤りがあったのかと考えると、これは

模造品と本物の見分けがつかないのに背伸びをして本物に手を出したこと

であると言えます。これは自身の認識よりも客観的事実の方を重視する態度であり、その齟齬により彼女はないはずの負債を背負うハメになったのでした。

 

こちらは逆に自分の認識に忠実であるかどうか、そこに欺瞞はないのかを自問する必要があることを教えていると思います。サービスや財に払う金銭、仕事や行事に払う時間、努力に払う労力、そのほか自分の人生の一部を等価交換している何かについては、その中に本当に自分の喜びがあるのか、等価交換になっているのかを考えることは豊かな人生に必要な考察だと思います。たとえばマチルドが友人から装身具を借りるのではなく、自分の認識では装身具の真贋を見分けられず、また多くの人もそうであろうという考察のもと、身の丈に合った模造品の装身具を自分で新調したとしたら、それをなくしたとしても人生を台無しにするほどの大事にはならなかったはずです。あるいはもっと根本的に、夜会に出席するという虚栄心が真に自分を心楽しませるのかを問うという考察も有意義だと思います。

 

このように真贋の問題は、われわれに自身の認識に自覚的であるか否かを問う性質をしています。真実に自覚的であるか、ではなく、「認識」に自覚的であるかという点がポイントだと思います。

 

認識に自覚的であるか

 

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今回紹介した作品はこちらです。

 

 

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