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喫茶店のマスターと常連のハートフルストーリーという主題の創作に対する現実的批判

考察しました。

 

構成は以下の通りです。

■きっかけ

■マスターと常連の関係性

■創作の主張

■ほんとうに美なるもの

--まとめ--

 

■きっかけ

 

『虹の岬の喫茶店』(森沢明夫著)という本を読みました。虹が見える岬で人が来ない喫茶店を営んでいる女主人の「悦子」と常連たちの心の触れ合いを描くハートフルストーリーです。この本自体は大変感動的で、随時泣きながら楽しく読んでいたのですが、読み終わった後に、何か物語の前提となる舞台設定の部分に決定的な違和感があるような気がしました。よく考えると、私自身がこういう店主と常連のハートフルストーリー的なノリが苦手だと気が付いたのでした。今回はこのノリについて考察してみます。

 

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■マスターと常連の関係性

 

マスターと常連さんの基本的な関係は、従業員と客の関係で、サービスと金銭の等価交換を行う二者の間の関係です。その関係がごひいきにしてくれる常連さんに対するマスターの好意や常連さんの慣れ親しんだ店に対する思い入れなどの心理的要素によって発展し、受け取った金銭以上のサービスや、受けるサービス以上の財の受け渡しが発生し、ゆくゆくはマスター、常連が相互にお互いのプライベートな部分にまで干渉しあい、事ここに至ってハートフルストーリーが生まれるわけです。ハートフルストーリーの発生に伴い、当初の従業員と客のビジネスライクな関係の超越あるいは逸脱が起きていることがポイントです。

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ハートフルストーリーが生まれる過程で従業員と客の関係性の崩壊が発生する

 

従業員と客の関係性の崩壊には、常連さんと一見さんとの間でサービス内容に差異が生じてしまうという弊害が伴います。常連さんの優遇は、一見さんの冷遇と表裏一体の関係です。

 

従業員と客の関係性を弁えない行為の極致は、クレーマーです。クレームの中でもサービスに対する過度の期待に類するものは、つまりマスターと常連(あるいは客)の間には、支払った金銭以上のつながりがあるべきだという要求をしている態度だといえます。この要求もまた、支払った金銭以上のつながりの美しさを描く先述のハートフルストーリーと出自を同じくし、表裏一体の関係であると思います。

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従業員と客の関係性の崩壊の負の面の極致は、店員に支払った以上のサービスを期待するクレーマーの思想である

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■創作の主張

 

創作のハートフルストーリーに対して感じた違和感は、その美談が店員に過剰なサービスを求めるクレーマーの信念と出自を同じくしていたからです。創作の美談の根底には、そういうクレーマー的な主張が確かに存在していると思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■ほんとうに美なるもの

 

もっとも、他の美談や美しいものも、他の側面から見れば迷惑や差別であるということはよくあります。例えば普段DVで伴侶を責め苛んでいる暴力男が時折見せる気まぐれなやさしさという主題は、確かに欺瞞ですが、しかし一方で美であるというのも本当です。過去読んで手放しに感動した作品に関しても、その扱う主題の中に醜なる部分を見出す試みは可能だと思います。だからこの作品が悪いというわけではなく、これは作品の扱う主題と読み手の相性の問題だと思います。このレビューを読んで一ミリも共感できないという方こそ、先の紹介した本の読者にふさわしいと言えます。

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読書には作品の主題と読者の感性の相性の問題がある

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--まとめ--

 

今回の考察をまとめると、

喫茶店のマスターと常連のハートフルストーリーは、美談にもクレーマーの温床にもなりうる

結局はどんな美談もそのうちに醜なるものを見出すことができるので最終的には好みの問題

ということになります。

 

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