『14fourteen』桜井亜美著
本読みました。
『14fourteen』桜井亜美著
以下感想です。
■あらすじ
■性欲と犯罪
■正しい愛し方
--『14fourteen』まとめ--
■あらすじ
社会現象にもなった酒鬼薔薇聖斗による殺人事件を下敷きにした、というかほぼそのまま用いた小説です。詳細に左記の事件について調べたわけではありませんが、特に目新しいことはなかったです。犯人の幼少期の悲惨な過去と、ゆがんだ世界観と人間観、ぎりぎりの精神状態が作り出した幻覚に従って犯罪を犯す様が描かれています。
■性欲と犯罪
犯人がクラスメイトの女子に恋い焦がれ、彼女の殺害を夢想するシーンがあります。史実かどうかわかりませんが、シリアルキラーが自身の凶行に愛情表現としての意味付けを行うことは割とよく聞きますし、シリアルキラーの典型といった印象を受けます。性欲というのは、その性質上、犯罪ととくに結びつきやすい欲求だと思います。性欲はその性質として非日常的な性質を有していると思います。卑近で庶民的な例でいうと、AVは開封するときが一番ドキドキしますし、性行為には既存の社会的規範を無視するときの背徳感をテーマとしたスタイルがいくつも見受けられます(レイプ願望、露出癖、緊縛等、枚挙にいとまがありません)。これは、性欲が枠組みの外側、未知の領域に踏み込んでいくという性質を有していることの証左だと思います。
性欲は枠組みの外側、未知の領域に踏み込んでいくという志向性を有している
犯罪は社会に属している人たちにとってまさに規範の外側の出来事、あるいは規範からはみ出すまさにそのきっかけの出来事です。社会的な枠組みを意識して、その外側にひかれてしまったとき、性犯罪に手を染めるということが一番ドキドキする瞬間になってしまうのかもしれません。
■正しい愛し方
犯人が恋い焦がれる女子に対して夢想する殺害という凶行は、いかにも正しくない愛という感じがします。しかしこの正しくない感じは、社会的なルールの上から見たときの「正しくなさ」「普通じゃなさ」に過ぎないと思います。そもそも愛は執着の一形態であって、その愛の発露として愛する人が死んでしまっても、その愛を実行している本人にとっては、愛する人の死によって執着が達成されるのかもしれません。社会的な不都合が発生するということは、必ずしも愛がないことを表さないので、愛の発露である事象は我々が普段考えているよりもずっと多いのかもしれません。だからと言って愛されるがゆえに被らなければならない不都合、不利益には何ら変わりはありませんが、自分の行動を考えたときに、好きなことや好きなものが見つからないけれども、嫌いなもの、嫌いなことが増えていくというような状況は、憎悪にも愛にもなりうる執着という心の動きを御せていないということと気づくかもしれません。
愛は執着の一形態で、殺意すらも執着かもしれない
普通の人は、好きな人の幸せを願うと思いますが、これはなぜでしょう。好きな人を殺害したく思う異常者との違いは何でしょう。思えば、好きな人の幸せを願うというのは、自身の愛が正しく伝わることを狙った功利的な行為とは言えるのではないでしょうか。優しくすることのほうが、殺害することよりは相手の心証がいいので、好かれるためにやさしくしようとするのは普通の心の動きです。
シリアルキラーは先に述べたように自身の猟奇的犯行の中に愛を見出していて、また自身の過去において人間性を著しく傷つけられた過去を持っているという話がよく聞かれます。本作の犯人もその紋切り型のシリアルキラーと同じく、実母による虐待や学友によるいじめという悲惨な過去があります。この経験は先に述べた「自分の愛が正しく相手に伝わり、相手から愛される」ということに絶望してしまう結果を生むのではないでしょうか。相手から愛されることに絶望した時、相手を独占する方法として、殺害という方法を選択してしまうのかもしれません。
愛されることに対する絶望が、殺害という破滅的な所有欲の満たし方を生むのかもしれない
--『14fourteen』まとめ--
まあ上記のように作品の内容を自分の人生経験に引き寄せていろいろ考えてみましたが、異常者の心理はよくわからないというのが本当のところです。ところどころ断片的に理解できる感情はあっても、総体として犯罪を犯すという結論はもちろん共感できないし、犯人のようなぎりぎりの精神状態にもなったことがないし、幻覚も見たことがありません。感情移入して読むものではなく傍観者としてストーリーを追うための作品だと思います。