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スルースキル

考察

上記考察しました。

 

構成は以下の通りです。

■イントロ

■クラスに嫌いな人がいたとき

■家族の中の嫌いな部分

■無視の不完全さ

--まとめ--

 

■イントロ

 

こないだツイッターで、フォロワーの人と「嫌な思い出を心の中でつつきまわしてしまう癖がある」という話をしたときに考えたことです。結局嫌な思い出を何度も思い出してしまう生き方から脱却するには「スルースキル」が必要だと思います。順を追って説明します。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■クラスに嫌いな人がいたとき

 

たとえばクラスに嫌いな人がいたとき、その人とはできるだけ関わらないようにすると思います。このスキルが一般に言われるスルースキルです。嫌いな人に食って掛かる人が居ますが、これは一般的な意味のスルースキルがない状態です。どのクラスどのコミュニティに行っても、一定数気に入らない人がいるのが普通なので、一般的な意味のスルースキルが欠乏していると、いらぬ争いに満ちた人生を送ることになると思います。社会生活を営んでいる人でしたら、先に述べたように気に入らない人とはなるべく関わらないようにして、好きな人、どちらでもない人と近い位置で生活を送ろうとすると思います。

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嫌いな人と距離をとろうとするスキルが一般的な意味におけるスルースキル

 

この一般的なスルースキルにおいては、自分が嫌いな人から逃げたように見える、あるいは周りにそのように認識されるというリスクをテイクする気持ちが必要で、そのリスクテイクは多少なりともプライドやこだわりを有する人間にとってストレスになります。自分が嫌う価値観で生きている嫌いな人に負けるということは、自分の考えと行動の間に乖離を生むことになります。社会で安全に暮らしていける可能性を高めるために、その自分の考えと行動の乖離を自分の中で我慢するということになり、そこのプライドを曲げる忍耐が必要になるというわけです。

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形式的に嫌いな人にひざを屈することに対する忍耐が必要

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■家族の中の嫌いな部分

 

家族や恋人、上司、同僚などの、必ず関わりあわなければならない人間の個性の中に、嫌いな部分がある場合はどうでしょうか。普通の人は喧嘩になってしまいますが、これがなぜかというと、家族の嫌いな個性をスルーすることができずに、つまり家族の嫌いな個性に対して膝を屈する屈辱に耐えられずに、反論してしまうからです。これは当然で、先ほどのクラスの嫌いな人の例において、その人を無視することが形式的な敗北と自覚され、また他人に認識される危険があるというリスクに比べて、家族の嫌いな面に膝を屈するというのはより直接的です。前者は無視した後に周りの人や嫌いな人が、自分が敗北したと思っているという風に、ただ想像しているだけですが、後者は嫌いな価値観を前にして実際に敗北して見せないといけない(反論せずに黙ったり、謝罪したりするという方法を以って)からです。

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嫌いな人と関わりあわなければならなくなったとき、普通は喧嘩になってしまう

 

しかし器用な人がいて、嫌いな人の嫌いな部分だけをスルーしてしまうことができる人が居ます。これはさらに高度なスルースキルとも言うべきで、実際に嫌いな価値観に対して膝を屈していながら、面従腹背で、心の中では全く別の価値観を有し、その心の中の価値観と、嫌いな価値観に屈したときの挙動の乖離による葛藤を気にしないということが心の動きとして生じています。普通の人でも、たまにはそういう器用なことができることがあります。同窓会でたまに会った友人やお盆にたまに帰った実家の家族の前で見せる態度がそれです。「まあ今日だけだから」という気持ちで、限定的に自分の心と振る舞いの乖離を我慢するということは比較的易しいです。しかし日常生活を向上させるという意味で、常に会っている家族や上司に対してそれをするとなると、今日だけだからという言い訳は使えず、十分長い時間その我慢を続ける必要があると認識した上でそうするわけですから、難易度が跳ね上がります。これができれば社会生活を十分快適に営んでいけるということができると思います。

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嫌いな価値観に膝を屈するという振る舞いと自分の中の価値観の乖離を十分長い間我慢できるスキルがあれば、快適に日常生活を送れる

 

このスキルは対人ストレスにさらされている現代人にとってマストなスキルなのですが、これはどのようにして獲得するのでしょう。心構えとして、誰かと完全に分かり合うということを放棄する必要があります。自分の周囲の人間の価値観と自分のそれを比べると、多少の似たり依ったりはあっても完全一致ということは絶対にありません。どんなに価値観が似ている人同士でも絶対に譲れない食い違いというものが出てきます。価値観の元に寄り集まる友人関係においてもそうなのですから、価値観を考慮せずに文化も違う各地域各年代からさまざまな人が集まっている職場などは、自分の価値観が受け入れられないものとして振舞うのが間違いないと思います。まず自分の大事にしている価値観はみんなにはわからないということをわかっておく必要があります。

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自分の大事にしている価値観は人に伝わらない

 

さらにもうひとつ、自分の価値観と言行不一致は生きていくうえで当然と考える必要があります。自分の私生活や、完全なスタンドプレーの仕事の中で自分の価値観や哲学に従って行動するのはそれは自由ですが、少しでも対人の要素がある場(職場や実家のリビング)では、自分の価値観と自分の振る舞いが乖離することが起って当然と考えるべきです。そのように思うことで自身の価値観を相手に対して譲歩して摩擦を回避するということができます。これには自分の価値観が対外的な謝罪や社交辞令程度で揺らがない程度には強固である必要があります。

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社会的な場において、自身の価値観と言動の不一致は起って当然

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■無視の不完全さ

 

嫌な出来事を心の中で何度も思い出してしまうことがあります。この心の動きはなぜかと考えると、その出来事に納得がいっていないことが原因なのではないかと思います。その場では譲歩したり、謝罪したりして対外的な体裁を整えて我慢したが、心の中ではいまだに自身の言動と自身の価値観の乖離に葛藤している状態です。社会的に生きていくうえで上に述べたスルースキルが必要ですが、自身の人生を幸せに生きていくためには、この嫌な出来事を何度も思い出す状態から脱却することが必要だと思います。さまざまな出来事があった過去をどのように思い出すか、いい思い出をより多く思い出すか、悪い思い出をより多く思い出すか、という問題は、振り返ってみたときの自分の人生の色彩を決定し、それがその人のものの見方を形成していくだろうからです。

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嫌な思い出を何度も思い出すのは、心がいまだに価値観と言動の乖離に葛藤しているから

 

社会的に生きていくためのスルースキルは、乖離を当然存在するものとして捉え、その乖離に眼をつぶることで自身の価値観と違う言動が可能になることで達成されますが、ここでは言動の達成が最終目標になっていました。たとえ心が乖離に眼をつぶりきれていなくても、言動が達成されればそれがすなわち社会的な意味でのスルースキルの実践レベルの達成であるからです。そうして社会的に適応して生きていても、この心が乖離に眼をつぶりきれていない状態が、独りになった時にその葛藤を解決しようとして嫌な出来事を何度も繰り返し思い出すという不毛な作用を起こしています。こういう副作用がある以上、スルースキルの最終目標は、言動の達成というところから、乖離に対する正しい理解というところまで引き上げられる必要が生じます。乖離に対する正しい理解というのは、とりあえずは先に述べたスルースキルの心構えのところの記載のことです。そこで述べている自分の価値観を誰かにわかってもらいたいという欲求は、他者承認欲求や自己顕示欲の問題で、これはこれで別に考察すべきテーマですので後述します。今回の結論としては、

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言動の達成のみを目標とした社会的なスルースキルは不十分で、心の葛藤が解決されることが重要である

 

ということがいえると思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--『嫌な出来事を何度も思い出すこと』まとめ--

 

今回の話をまとめると、

 

嫌な人の嫌な部分と折り合いをつけていく必要があって、

そのためには自分の価値観が共感されないこと、

価値観どおりに振舞わないことがあるのは当たり前であることを理解する必要がある

 

という話でした。世の中の社交的な人、愛される人というのは、この価値観どおりに振舞わないことを「気にしない」ことがうまい人だと思います。その中には、こうやって色々考えなくても、嫌なことは一晩寝れば忘れてしまうというようなタイプの人も含まれているのかもしれません。煽り抜きで、そういうさっぱりした心持というのは生きていくうえで財産だと思います。でもそれはある意味一種の才能で、そういうタイプに狙ってなれるわけではないので、手持ちのカードで勝負するしかないわけですが…。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■関連する書籍

 

人間関係の悩みに対するヒントを含んでいそうな本で、過去に読んだものは『こころの処方箋』(河合隼雄著)と『「自分らしさ」を出せる人出せない人』(鴨下一郎著)です。

 

 

 

本ブログで解説もしています。

 

『こころの処方箋』 - H * O * N

 

『「自分らしさ」を出せる人出せない人』(他人との付き合い方編) - H * O * N

 

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