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『凍りのくじら』辻村深月著

本読みました。

『凍りのくじら』辻村深月

 

以下感想です。

■あらすじ

■理帆子というキャラクター

■スコシナントカという遊び

 

■あらすじ

 

周りの人間が馬鹿に見えて、誰といても楽しめない覚めた女子高生「理帆子」が、母の死、元彼のストーカー行為などの揺さぶり、養父の私生児「郁也」との出会い、心惹かれる上級生「別所」との出会いなどの美意識をくすぐられる経験を通して、自身の世界の認識の仕方を改める話です。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■理帆子というキャラクター

 

理帆子は、自分が普通でないことに自己嫌悪を感じていて、友人の輪に溶け込めているのに、それを自分の主張や個性がないことと捉え、誰といても楽しめないと考えてしまうキャラクターとして描かれています。

 

当人にとっては、自分自身は確かにかけがえのない一人きりなんだろうけど、誰の個性だって、所詮は似たり寄ったりだ。…(中略)…恋愛にでも興じていれば、ほとんどのことが解決できるんだろうし。私は寂しいし、孤独だけど、覚めている。だから、悲しいことにみんなと同じような形では、恋で全てを解消することができない。私の恋には、ドロドロと濃いエゴが凝り固まり、そこに求めるものが周りと違う。

 

思春期において自意識が肥大化するのは割とありがちな事例だと思います。友人の輪に溶け込めているのにまだ不満があるという感情は覚えがあります。卒業してからどんなに馬鹿にしていた友人たちの集団でも懐かしく感じますし、友人たちの輪に溶け込めなければ溶け込めないで落ち込むのですが、溶け込んでいるときはその溶け込んでいる状況に不満を見つけてしまうというわけです。若いエネルギーが変な方向に行ってしまうと現状満足がむずかしくなりがちです。そんな理帆子がさまざまな経験をした後に結局みんなが好きだった、と気づくシーンがあります。

 

私は郁也が好きだ。美也が、カオリが。学校の友達が、両親が。松永のことも、若尾のことだって、好きだった。最初からずっと、そうだった。

 

最初このシーンを読んだとき、最終的に好きになっても過去ある時点で嫌っていたことはなかったことにはならないような気がして、ある種の欺瞞のように感じたのですが、そうではなくて、近くにいる時に馬鹿にしたりけんかしたり下に見たりというようなマイナスの関わり方も好きの一形態なんだということに思い至りました。恋焦がれるのも嫌悪するのも執着の一形態なので、このシーンのこの発言は一理あると思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■スコシナントカという遊び

 

理帆子は知人の個性を「スコシナントカ」に当てはめる遊びをしています。これは藤子・F・不二雄氏がSFに「少し不思議」を当てはめた話から来たもので、友人たちの個性が全て「SF」で言い表せてしまうことで理帆子は友人たちへの諦念を深くします。最終的に理帆子は自身のこの遊びの傲慢さに気づいてやめるのですが、この遊びが傲慢である所以はどこにあるのかと考えると、私は自身の認識という枠組みに他人の存在を当てはめてしまって、他人の持つ可能性を無視してしまっている点にあると思います。理帆子は「スコシナントカ」に友人を当てはめてその認識を条件反射的に世界の認識として使ってしまっていたがゆえに、若尾が子供を誘拐するという大それた凶行に及ぶことを予想できなかったし、美也が理帆子の引越しや理帆子の母の死に対して本気で不機嫌になり本気で泣いてくれたことに衝撃を受けたわけです。そういう友人たちの「スコシナントカ」に収まりきらない部分が彼女の認識から零れ落ちて、彼女はその状態で世界に見切りをつけてしまっています。

 

友人と会っていない時に彼らが何を考えているかは知ることができないし、会っているとき、話しているときでも、その誰かがそのとき、発した言葉、浮かべた表情以上のことを考えたか否かは知ることができません。発した言葉、浮かべた表情に関しても、逐一その意図を問いただすわけには行かず、受け手の解釈にゆだねられています。だからそもそも、人間が友人を認識するときのやり方は、かなり選択的で、エゴを含み、そういう意味で傲慢なんだと思います。

 

そう考えると、逆に誠意ある対応とはどういうものかということがわかります。友人の話やその振る舞いに対して、都度都度中立的な気持ちで解釈を試みる態度、「スコシナントカ」と決め打ってしまわない態度がそれに当たると思います。認識できない領域(友人の内面や人に伝えない気持ち)が目の前の友人に含まれているという認識が、友人に対するより正しい認識の方法だといえると思います。

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まっさらな気持ちで友人の言葉と振る舞いを解釈し直すことが友人に対する誠意ある態度

 

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