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蒐集癖について

上記考察しました。

 

構成は以下の通りです。

■蒐集家の知人

■ビール瓶の蓋の話

--「蒐集癖について」考察--

   - 蒐集とは何か

   - 本の帯について

   - 蒐集家になれない

   - 自信の行く末

 

■蒐集家の知人

 

蒐集家の知人がいました。彼の家を訪ねて、蔵書の本に帯が掛かった状態で透明なビニールのカバーがかけてあったのを見て驚きました。彼は本の内容については個人の独自解釈を嫌い、権威や大衆の総合的な意見のみを正解と認定しているようで、本の感想を話しても張り合いがなかったのを覚えています。そんな彼が一度「蒐集家になりたい」と漏らした事がありました。これを聞き私は意外に思いました。蒐集家の定義は知らないが、本の帯をわざわざ集めているのだからもうそれは蒐集家でいいのではないかと思ったからです。

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蒐集家志望の知人

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■ビール瓶の蓋の話

 

私自身蒐集癖を持っていまして、自身が蒐集家であると思っています。そこで気安く、「僕も子供の頃ビール瓶の蓋を集めていてね…」と話したところ、一笑に付されました。彼は価値のないただのものを集めたところで蒐集家とはいえない、自分は蒐集家になるのにそれなりの額を払う覚悟はある(といっても学生の頃でしたから数万から数十万の話でしたが)、というような意味のことを言い返しました。この話を聞いて、私は彼の目指す蒐集が私の言う蒐集と同一ではないことに気づいたのでした。

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ビール瓶の蓋をコレクションしていたことを一笑

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--「蒐集癖について」考察--

 

   - 蒐集とは何か

 

私にとって蒐集とは、自分の美意識に適うものを集める行為です。子供の頃集めていたビール瓶の蓋も、今集めているものも、すべて自分の美意識が反応したものであって、集めるのにそれ以上の理由はありません。私は本を集めるときも読書とは別の蒐集の楽しみを持って本を買いますが、そのほとんどは古本です。ですから蔵書の量は別にして、同じ冊数の私の蔵書と彼の蔵書を比較すれば、彼の蔵書の方が高価であるということになります(彼は本を新品で購入し帯を保管していたので)。

 

   - 本の帯について

 

また私は本の帯を美しいとは思いません。あれは結局広告であって広告特有のスペースの使い方がいかにも美しくなく、読むときの邪魔になります。美しいデザインのものもありますが蔵書全体で見た時に帯があるものとないものが混在しているのはやはり美しくないので、帯は基本的に捨てています。本の帯が普遍的に美しくないというつもりはありません。本の帯に美しさを見出す人は集めればよいと思います。しかし本の帯を集めていた彼は本の帯の美しさに惹かれて本の帯を集めていたのでしょうか。私はそうではないと思います。彼は本の感想一つとっても独自の意見を持つことを忌避していました。本の帯を集めたのも、彼の美意識がそうさせたのではなく、「一般に本の蒐集では、帯も保管すべきだ」という通説に従った結果だろうと思います。

 

   - 蒐集家になれない

 

彼は自身の発言が示すとおり、蒐集家ではないと自認していました。彼が蒐集家への憧れを口にしたとき、私は本当は疑問に思いました。私は蒐集家を自認していて、それを誇りに思ったことは一度もなかったから、蒐集家にあこがれる彼の気持ちが理解できませんでした。彼はなぜ蒐集家を自認するだけの自信を持てなかったのでしょう。また、逆になぜ私は彼よりよほど不真面目な蒐集家であったのに、何の臆面もなく蒐集家を自認することができたのでしょう。これは、生来の性質に関わる問題だと思います。彼は蒐集家になることを夢見ていたが、本来的に蒐集家の性質(私の言う美意識に従ってものを集めるということ)を有していなかった、そこで借りてきた価値基準(帯の有無、金額の多寡)でものを集めようとした。借りてきた価値基準には上下関係が存在していて、たとえば金額の多寡においては、彼以上の熱心さを持って本を収集する人は存在したでしょう。そういう人の存在を認識するたびに彼は自信を喪失していったのではないでしょうか。一方私は自身の美意識にのみ従ってものを集めていましたから、そこに上下関係は存在しません。私以上に私の美意識に従ってものを集めている人など、原理的に存在し得なかったのです。私の価値基準のみが唯一絶対で、競争相手すら存在しない状態でした。その結果自身が蒐集家であることを「知る」というレベルで自信を持てた、ということだと思います。

 

   - 自信の行く末

 

各分野で天才といわれる人は、借り物の価値基準の中の競争を勝ち抜いてきたのではなく、そんな風に自身の価値基準にのみ従って、その価値基準がたまたま社会の価値基準に合致していた…ということなのではないかと思います。私の場合、情熱が絵画や音楽やスポーツではなく、ビール瓶の蓋の蒐集に向かってしまったことは小さな悲劇でしたが、それはともかくとして、誰かに言われてわけもわからず本の帯を集めることよりも、人から見たら価値のないビール瓶の蓋を集め続けることのほうに価値がありそうだということは言えると思います。人生のさまざまなレベルにおいて、本の帯を集めた友人のように借り物の価値基準の競争の中で自信を喪失してしまうことはよくあることです。そんなときは、自分にとっての「ビール瓶の蓋」を記憶の中で探してみるとよいかもしれません。

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自分の美意識にのみ従って行った行為の結果には、自信が持てる

 

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