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『遠まわりする雛』米澤穂信著 感想

本読みました。

遠まわりする雛米澤穂信

 

以下感想です。(本作は古典部シリーズの世界観を舞台にした短編集ですが、その中の短編の一つであり、表題にもなっている「遠まわりする雛」のみに言及します)

■神秘性の演出

■省エネ主義の危機

■想像オチ

--『遠まわりする雛』まとめ--

 

■神秘性の演出

 

本作は、飛騨地方の伝統的な祭である「生き雛祭り」に折木と千反田が参加し、その祭の運営で発生した小さな事件の真相を推理する話です。が、本作においては推理はメインではなく、メインは折木と千反田の関係性の描写です。まず、祭りの準備段階で着付けをする千反田と、折木が話すシーンがあるのですが、このシーンでは千反田は着付け中なので、その姿は帳に遮られて折木には見えません。聞こえてくる声も千反田家の代表を自覚した際の余所行きの声です。読者は折木がその場でそうするのと同じように、帳の向こうの千反田がどのように話を聞いているのか、扇を口許に当て、片腕を脇息に預けているのか、それともいつものように好奇心に目を輝かせて身を乗り出して聞いているのか、と想像することになります。この演出は後に登場することになる着飾った千反田をより美しく印象的に見せるという意味において非常に効果的です。

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声は聞こえるが姿は見えないという状況が千反田の登場に対する期待感と神秘性を生む

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■省エネ主義の危機

 

千反田が生き雛の行列に加わるために登場し、折木はその後ろを傘を差して歩くのですが、その最中に折木の省エネ主義は致命的な危機を迎えることになります。つまり、千反田のことが、「気になる」のです。省エネ主義を貫いて、必要ないことには興味を示さず、また本シリーズでは天才的な活躍を見せる折木が、その主義に反して必要ないことをどうしようもなく気になってしまう様は、この光景の美しさと折木の千反田に対する想いを雄弁に物語っています。

 

千反田がしばしば抱く好奇心というものに、俺はなかなか親和性を持つことができずにいた。しかしこのとき、もしかしたら千反田はいつも、こういう気持ちだったのだろうかと思った。俺はいま、千反田の表情が見たかった。いまこの場所で、紅を差し目を伏せている千反田を正面から見られたら、それはどんなにか……。

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本シリーズの天才折木の動揺が、シーンの美しさと折木の千反田に対する想いを物語る

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■想像オチ

 

祭を終えた折木と千反田の会話で、千反田は折木に自身の将来の見通しを告白します。この告白は意味深で、告白の理由を千反田は「ただ知ってほしかったから」といいます。

 

「私はここを最高に美しいとは思いません。可能性に満ちているとも思っていません。でも……折木さんに、紹介したかったんです」

 

アニメでは、折木はその告白を受けて、いつもの調子で理性的に、告白とも取れる形で千反田に協力する旨の返答をした…というのは想像で、実際はどうでもよい世間話で返してしまっていた。という形でこの物語は締めくくられます。淡すぎる心の機微がどこまでも丁寧に描かれたラストはまさに「遠まわり」という題にふさわしく、前半の祭りとあわせて大変美しい話に仕上がっています。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--『遠まわりする雛』まとめ--

 

千反田の意味深な告白、その動機が「ただ、折木さんに紹介したかった」というのはすさまじい破壊力があります。要するに人を好きになった際、好きな人に自分をもっと知ってほしいと思う自己開示欲求の発露であると思われますが、前半、着付けと祭の際には神秘的な雰囲気に覆われていた千反田が祭の後に一転上記の人間的な脆さともいえる部分を垣間見せるという流れになっているからこそ、千反田というヒロインの印象が非常に深いものになっていると思います。

 

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神秘性と人間臭さのギャップが千反田のヒロインとしての魅力を引き立てる

 

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