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『剃刀』志賀直哉著 感想

本読みました。

清兵衛と瓢箪・網走まで』志賀直哉著 より『剃刀』

 

以下、下記サイトの開設を参考に、解釈をまとめました。

志賀直哉の初期作品の表現論的考察

■あらすじ

■解釈_1_紅野謙介(1989)

■解釈_2_荒井均(2002)

■解釈_3_亀井千明(2003)

--『剃刀』まとめ--

 

■あらすじ

 

剃刀の名人である芳三郎は、腕を買われ店を任されます。かつての同僚の「源公」は仕事熱心でなく、ついに店の金を掠めたので、芳三郎は源公を追い出します。新しい職人を迎えた店で芳三郎は風邪を引き寝込んでいます。時期的に店が忙しくなってきて、風邪をおして仕事場に立ったところ、手元が狂い客の顔を傷つけてしまいます。芳三郎は我慢できなくなり、剃刀を逆手に持ち替え、客の喉を切ってしまう、というストーリーです。

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剃刀の天才、芳三郎

体調不良で手元が狂い、些細なミス

吹っ切れて罪を犯す

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■解釈_1_紅野謙介(1989)氏によると…

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作品のテーマは「殺人にまでいたる心身の感覚を不合理としてまとめてしまう客観性」

 

芳三郎は、「完全を期して仕事に向かい、一点の非の打ち所のないその完璧な成就に自己の同一性を確認し、喜びを覚える人物」であって、風邪による朦朧とした心身状態は「「精神」と「身体」とが「疎隔状態」」です。

 

昼に近づくにつれて客がたて込んで来た。けたたましい硝子戸の開け閉てや、錦公の引きずる歯のゆるんだ足駄の乾いたやうな響が鋭くなつた神経にはピリ/\触る。

 

という描写は、「意識は遠心的な感性空間を広げ、異様に研ぎ澄まされ、身体は管理支配のままならぬ異物として疎外されていく」精神/身体の疎外状態を表し、「疎隔状態」が極限まで達したとき、「芳三郎」は「若者」の生命を奪ってしまい、この行為を観察するものとして「鏡」が提示されます。

 

只独り鏡だけが三方から冷ややかに此光景を眺めて居た

 

最終的に、あらゆる論理を宙吊りにして、殺人にまでいたるこうした心身の感覚を、人間には往々にしてこうした不合理な事態が起こるといってまとめてしまう〈客観性〉が提示されています。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■解釈_2_荒井均(2002)氏によると…

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作品のテーマは「「気分」に引きずられて社会から逸脱してしまうということ」

 

芳三郎は、「遊びもせず、ぜいたくもせず、ただ職人としての腕に、全プライドをかけていた」だけでなく、逆に仕事に不真面目な「源公」を追い出すことからも読み取れるように、「自己の価値観とは合わないものに対する反感」をも有しています。また、妻のお梅に当り散らしたり、風邪をおして仕事場に立ってみたり、妻の発言に無意味に逆らってみたり、行動規範が気分に大きく依っているという特徴もあります。

 

「もうお店を仕舞うんだからお帰りって」とお梅は錦公に命じた。「まだ早いよ」芳三郎は無意味に反対した。お梅は黙って了った。

 

この作品で描かれていたのは、「気分」を自己自身が統御できず、それにひきずられて殺人まで至ってしまう、「気分」の敗北であり、「気分」によって社会から、最大の逸脱をしてしまう、その過程だということができます。

 

また、芳三郎が作者志賀直哉と「行動規範が気分によっている点」において共通であると指摘されています。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■解釈_3_亀井千明(2003)氏によると…

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作品のテーマは「社会的に問われることがない放免化された殺人」

 

この作品では、語り手の視点が殆んどが芳三郎視点ですが、お梅や田舎出の客に重なっていることもあり、芳三郎だけに作品が焦点化されることのない構造をしています。これは、お梅に対しては妻であるという近しさから癇癪を起こしはするが、客に対してはいらつきながらも、商売上から口には出せないでいるという風に、芳三郎は他者との関係性の中で存在している人物であることを示しています。

 

最後に、客を殺した芳三郎を鏡が観察している描写で、語り手は、どちらかといえば芳三郎寄りの見方を示しつつも、最後には他者に眼差される存在として芳三郎の姿を打ち出しているといえます。鏡の態度は、「冷やか」な感情を伴いつつ、他者として芳三郎の殺人行為を眺めるものの、行為の是非を問うているわけではない、というものです。そして「剃刀」は現実世界に通ずるような設定をされながらも、最終的にはその現実を離れた作品世界となっていて、作品全体を通して非現実的世界内で、社会的に問われることがない放免化された殺人が描かれているといえます。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

--『剃刀』まとめ--

 

志賀直哉私小説的な作家であり、また、文に無駄のない作家であるといわれます。そんな志賀直哉の性質から、解釈2における作中の主人公と作者が共通性を有しているというのは本作の中で重要だろうと思います。

 

傷は五分程もない。彼は只それを見詰めて立った。薄く削がれた跡は最初乳白色をしていたが、ジッと淡い紅がにじむと、見る見る血が盛り上がって来た。彼は見詰めていた。血が黒ずんで球形に盛り上がって来た。それが頂点に達した時に球は崩れてスイと一ト筋に流れた。このとき彼には一種の荒々しい感情が起った。

 

自身の些細なミスを見詰める主人公を描く上記描写の後に、主人公は客のくびを切って殺してしまうのですが、克明な傷の形容とそれを凝視する主人公の描写が、完璧主義の主人公の心に生まれた(おそらく志賀本人も感じたことがあるであろう)破壊的な衝動が開放される前の緊張感を巧みに表現していると思います。

 

使用している短編集はこれです↓