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『愚者のエンドロール』米澤穂信著 感想

本読みました。

愚者のエンドロール米澤穂信

 

以下感想です。

■折木の、自身の才能に対する客観的了解

■入須によるアジテーション

■折木の失敗

--『愚者のエンドロール』まとめ・本作の主題--

 

■折木の、自身の才能に対する客観的了解

 

本作は、折木の才能に対する福部との会話から始まります。一般人を自認する折木に対して、福部は冒頭と、その後も繰り返し疑問を投げかけます。折木は自身の成功実績を運と称しながらも、自分で自分を過小評価しているのではないかとの期待にも似た思いを募らせます。

 

俺は劣等感に苛まれているのではない。自分を客観的に見積もろうとしているだけだ。

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自分の才能に対する期待を持つ

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■入須によるアジテーション

 

そんな折木に対して、折木を自身のクラスのミステリー映画を撮るという文化祭の企画に協力させたい「入須」は、折木の中に芽生えた自身の才能に対する期待を、言葉巧みに煽動します。

 

私は確信している。

君は、特別よ。

 

折木にとって自分に才能があるかもしれないという可能性は非常に甘美に感じられます。木石でない限り当然ですが、このときの折木の心内描写は小説よりもアニメの方が巧みです。入須に上の言葉を掛けられたとき、窓から差し込む光は明るさを増し、部屋の中の明るさが何段階か上がる描写で、折木の心象を巧みに表現しています。

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周囲の煽動によって期待が育てられる

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

■折木の失敗

 

結局自身の才能を信じて入須の企画に協力した折木ですが、披露した推理は間違っていて、入須のクラスの平凡な探偵役が提示した案と本質的な違いは有していなかったとわかります。慢心によって自身の解答に添う形に問題を歪めて解釈してしまい、脚本を途中で断念した「本郷」の意図を解明することに失敗して、自身の推理小説のシナリオを解答にしてしまいます。シナリオ発表後にそれに気づきますが、折木の執筆したシナリオで撮影は進み、映画が完成してしまいます。そのダンに名って折木は自信が煽られるがままに推理小説を執筆してしまったのだと気づく、微妙に後味の悪いラストになっています。

アニメのほうでは、入須の本来の意図と自分がだまされていたことに気づいて、失意のうちに帰宅しているとき、「名探偵」の字句が入ったチラシを見つけて、苛立たしげに壁に拳を打ち付ける描写があり、普段無感動な折木の羞恥と怒りが印象的です。

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自身の才能に対する期待が打ち砕かれる

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

--『愚者のエンドロール』まとめ--

 

本作のテーマは自身の才能に対する期待だったと思います。稚拙な自己満足の映像作品を撮影して喜ぶ入須のクラスメートたちと、関係者も認めるほどに十分な出来のシナリオを執筆したというのに敗北感に苛まれる折木の対比が、本作のテーマを象徴的に現しています。無理に教訓を得ようとするなら、結局、自身の才能やその結果としての作品に対する満足不満足は、技術の巧拙ではなく自己満足に起因しているということになるかと思います。前作もそうですが、本作では天才の折木が悩むテーマというのが、何か折木のような成功実績を持たない私のような読者にとっても非常に身近で、そういう意味で折木の発言や決断や挫折にそのつど共感でき、非常に読みやすい作品だと思います。

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作品に対する満足不満足は、技術の巧拙ではなく自己満足に起因している

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆