『氷菓』米澤穂信著 感想
本読みました。
以下感想です。
■灰色の折木
■薔薇色に殉じた関谷純
■折木の自己肯定
--『氷菓』まとめ--
■灰色の折木
本作は後のシリーズで主人公となる「折木」の人生観に関する話です。折木は「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」をモットーに省エネ主義を生きる灰色の高校生です。折木は姉の勧めで古典部に入部し、他に入部した部員とのかかわりの中で、自分の省エネ主義が揺らぐかのような「居心地の悪さ」を感じます。やらなくてもいい古典部の活動の中で、その理由を友人の福部に問われ、折木は理由を後付けこう答えます。
お前らを見ていると、俺は時々落ち着かなくなる。俺は落ち着きたい。だがそれでも俺は、なにも面白いと思えない
揺さぶられる省エネ主義
■薔薇色に殉じた関谷純
関谷純は、古典部部長の「千反田」の伯父で、45年前に文化祭の開催を巡る騒動で神山高校を退学しています。彼の退学の真相を探ることが本作のテーマなのですが、その傍ら、文化祭という薔薇色の極致に殉じて自身の高校生活を犠牲にした関谷純の心中に、折木は思いを馳せます。千反田が折木に本件の真相を探ることを手伝って欲しいと依頼するシーンにおいて、折木が関谷純の心中を慮るだけの感情移入を暗示する台詞があります。
折木さんが私の疑問に答えてくれたとき。……折木さんに伯父を重ねていたのかもしれません。伯父よりもずっと愛想が悪いけど、でもあなたは答えてくれました。だから……。
薔薇色の体現者たる英雄「関谷純」
■折木の自己肯定
自身が到達できない次元において薔薇色を体現した関谷純の心中を、折木は最初、彼は自己犠牲を「惜しみはしなかった」と予想しますが、実はその華々しい自己犠牲の影に、後悔とも呪詛とも取れる声にならない黒い感情が存在していることが明らかになります。青く見えていただけの隣の芝生であった薔薇色の高校生活、その極致に関谷純という一人の人間が犠牲になり、悲鳴も上げられないまま英雄として祭り上げられているという事実を目の当たりにして、折木の心境は「落ち着きのなさ」から灰色も「相対的に悪くはない」と思うように変化していったのでした。そんな折れ木の述懐が彼の姉への手紙に書かれています。
関谷純の事件は要するに、三十三年前の生徒たちの活気あふれるアクティブなスタイルの行き過ぎがもたらしたものだ。そういうスタイルが『氷菓』というタイトルを産んだのなら、薔薇色というのも考え物だ。実際、あの事件のことを知って以来、俺は居心地の悪さを感じることはなくなった。自分のスタイルがいいとは思わないが、相対的には悪くはないだろうといまは思っている。
関谷純は英雄ではなく犠牲(いけにえ)だった
--『氷菓』まとめ--
この価値観の揺さぶりからの自己肯定こそ、本作の見所だと思いました。折木目線の理知的な筆致で、自身の価値観に対する内省が端的に述べられ、いくらかの共感とともに心地よい解決感のある素晴らしい作品です。
薔薇色も楽じゃないし、灰色も捨てたもんじゃない