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【考察】肌断食という方法論に見る「信仰」

■肌断食という方法論に見る「信仰」

肌荒れに悩んでいた友人が、「肌断食」というメソッドで肌荒れを解決したという話を聞きました。この肌断食というのは、肌にはもともと正常な状態に戻ろうとする自浄作用のようなものがあって、「あえて」最先端の保湿クリームや化粧品でケアしないことによって、そういった力を呼び覚ますことができる…というようなロジックになっているそうです。それを使って肌荒れを見事解決した友人ですが、彼女は生来大変合理的な人間で、最初肌荒れを何とかしようと思ったときも当然、西洋医学的なアプローチをとろうとしたそうです。西洋医学的なアプローチというのは、人間の肉体の中でさまざまな栄養素がそれぞれの役割を演じ生命活動に寄与しているという価値観に基づいた肌荒れの解決方法であって、具体的には、最先端の保湿クリームや化粧品でケアすることによって肌の健康を取り戻そうとしたのですが、その試みがうまくいかずに、半ば諦めるように「肌断食」を実践すると思いがけず肌荒れが直ったとのことでした。

 

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化粧品が効かずに、肌断食で肌荒れが改善

 

 

友人は、上記の友人の肌荒れ解決の経緯を西洋医学的に納得しようと試み、「化粧品でケアしていたときは、その試みが肌荒れを自覚するストレスとなっていて、それにより肌荒れが悪化していたのだ」と結論しました。ストレスや信仰が体に観測可能な改善をもたらす現象は、プラシーボ効果として知られていますが、肌断食もプラシーボ効果の側面が強いメソッドだと思います。肌断食は、肌本来の自浄作用を論理的なバックボーンとしていますが、冷静に考えるとストレスやその他の要因で肌本来の自浄作用が衰え弱まることも十分に考えられるし、その結果として、今現在肌荒れに悩まされている人は自身の問題に直面することになっているわけです。その「気持ちの部分」を論理的な前提、つまり、「肌本来の自浄作用があることは自明である」とすることで、多くの人がすんなり納得できる形で巧みに救済しています。肌荒れを抱える人は肌本来の自浄作用が何らかの要因で弱まった人たちなのに、そのことには気づかず、論理の前提を説明され、納得した瞬間に肌本来の抵抗力を取り戻すことができる、そういうロジックの構造になっているわけです。

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肌断食は、メンタルに作用する側面の強い方法論である

 

上記の話をした後に、生来合理的な友人は、合理的な方法よりも、ある種騙し絵のようなロジックを採用している方法によって自身の問題が解決されたことに衝撃を覚えているようでした。私はこの例を以って、西洋医学的な合理的なアプローチを全否定するつもりはありません。今回起こったことと逆のこと、つまり、化粧品によるケアをやめて肌断食を行った結果、肌荒れがひどくなった例も、探せば出てくることと思います。また、肌断食には私が加えた説明を遥かに凌ぐ深遠なロジックと、それを支える科学的な実験結果の数々があるのかもしれません。本当は、西洋医学にも未解明な部分があり、現在常識とされていることが塗り替えられる可能性もあり、プラシーボ効果や治療がストレスになってしまうジレンマのような、西洋医学でとりわけ説明が加えにくい気持ちの部分には、スピリチュアル的なアプローチが効く場合がある、というのが現状だと思います。将来的にスピリチュアルな部分も包括して説明できる新しい理論が生まれる可能性は十分ありますが、実際にその理論が生まれる前に合理的なアプローチを手放しで信仰するのは早計だと思います。

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手放しで合理主義を信じるのは時期尚早

 

引き寄せの法則の本では、この近代文明の合理主義が不完全で、現代人の常識で理解できない世界が存在していて、それらすべてを説明できる理論の登場に生きているうちに立ち会えるかわからないから、合理主義から見たら多少胡散臭さはあるけれども引き寄せの法則で幸せになりましょうよ、と主張されています。合理主義への信仰を捨てた後に引き寄せの法則に従うかどうかは個人の好き好きですが、合理主義への絶対的な信仰は誤った態度であって、ありうるのは今現在解き明かされている領域に限る限定的な信仰である、ということはいえると思います。


  - まとめ

近代文明の合理主義は、そんなに完璧じゃない

 

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