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『オブリビオン』

映画観ました。

オブリビオン

 

以下感想です。※ネタバレ注意

■圧倒的世界観と洋画特有の爽快感

■人の死を悼むということ

■人の記憶について

--まとめ--

 

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■圧倒的世界観 と洋画特有の爽快感

グラフィック的な意味では見る前はそれほど期待していませんでしたが、実は2013年 公開と比較的新しい映画で、核戦争後の荒廃した地球の絶望感の中にハーパーの隠れ家が 一筋の光明としてある様、当初味方の基地と思われているテッドの未来感がストーリーが 進んださいにそのままその無機質な不気味さに変容する様はとても印象深いです。

 

敵も人間をクローンにした上で記憶消去し、手駒として使うという人類の尊厳を踏み にじるタイプの程よく憎たらしい敵で、それを最後超強い爆弾のクリティカルヒットでボ コるという洋画お決まりのパターンに見事にハマってその様式美には息を呑むばかりです 。


■人の死を悼む ということ

テッドのセキュリティがガバガバな点や、ドローンが無能な点や、細かく見ていくと アレな部分はありますが、基本的に気になりませんでした。しかし最後のハーパー49号が 命と引き換えにジュリアを守った後にハーパー52号がジュリアの家に来るラスト、ここは 問題ありだと思います。

 

今回はクローン技術が作中に登場して、たまたま死んだ主人公に替えが効いた状況で したが、普通の作品だったら(つまり死んだ人は代替不可能であるという前提の作品であ ったら)ここはジュリアが主人公の死を悼んで余生を過ごすラストになりはしないでしょ うか。確かにその余生は孤独でしょうが、その孤独には意味があると僕は思います。

 

その孤独は、死者あるいは死者の行いとその動機が、生き残ったものにとって代替不 可能であることの証左であり、49号の行いとその動機とは、この作品そのもの、つまり49 号がジュリアの思い出の面影を日常の中に探しながらジュリアを失っていた時間と、その 中でジュリアを見つけた感動、その後人生を切り開いていく生命の躍動に見られる一連の 行いであって、それだけにラストに52号の死を悼むシーンがあって始めて映画は完成する のではないかと思います。

 

映画の最後のシーンではジュリアが52号を見て複雑な表情をし、娘が怪訝な表情で「 あの人誰?」とジュリアに聞くシーンで締められていますが、この母娘のリアクションは このラストシーンにおいては救いであると思います。二人が手放しで喜んだならこの作品 の存在価値は否定されていたでしょう。が、やはり弱いです。このあとジュリアが52号と どんな関係性を築いていくかによってこの作品が駄作にも名作にもなりうると思います。 その意味でラストシーンの締め方は下手にハッピーエンドに向かって画竜点睛を欠いたと いわざるを得ません。

 

しかしクローン技術の是非を問うならもう一本別の主題の作品が書けてしまうでしょ うし、ハーパーが量産されて敵の手先として働いているという設定はディストピア感があ って大変よいと思います。その辺を踏まえると洋画としては十分完成されていると思いま す。


■別離について

ジュリアは死別という形で49号と別れ、その後彼の死を悼むべきである点は先に述べ ました。実際のわれわれの生活でも、死別とは言わずとも別離は訪れます。現実問題過ぎ た別離をいつまでも大事に取っておいて孤独に余生を過ごすことはコストパフォーマンス が悪いですが、今回の作品のラストの物足りなさから、やはり別離には関係性の「死」を 悼む気持ちがあって本物であるということがいえるのではないかと思います。現実の生活 はすべての時間が映画のように正解ばかりではないですが、別離の際にはその人との関係 性の中で何か少しでも「正解」の部分、すなわち自分の美意識に照らして美しいと思える 部分はなかったか考えて、あればその部分は悼むようにするのがいいと思います


--まとめ--

ハッピーエンドに寄せたことでラストが少し弱いですが、それを補って余りある世界 観とシナリオのダイナミズムを有するすばらしい作品です。