『赤毛のアン』モンゴメリ著、村岡花子訳
>アン的なもの
を随所に感じることが、この作品の読書体験であり、また読みどころだと思います。それはアンの行動から感じられることもあれば、アンを取り巻く環境から間接的に感じられることもあります。この作品に登場するものは、人物であれ自然であれ、作者の体験、作者の一面であって、同じ一個人の想像力というところにアンと出自を同じくしていますし、またアンが物語の中で、それらの表象と反応しあいながら人生を送っているという意味で、やはりアン的なものの原因であり、結果であるとも言えると思います。その意味でアンは作者自身である、という訳者解説の言葉はその通りだと思います。
続きを読む『かもめ・ワーニャ伯父さん』チェーホフ著、神西清訳
■ワーニャ伯父さん
本作の主人公、ワーニャ伯父さんの不平不満が読みどころだと思います。亡き妹の夫であり大学教授「セレブリャコーフ」に経済的援助をしながら、教授への尊敬はとうに失せてしまって、
まる二十五年の間、やれ芸術だの、やれ文学だのと、書いたり説教したりしてきた男が、そのじつ文学も芸術も、からっきしわかっちゃいないという事実だ。やっこさん二十五年のあいだ、やれリアリズムだ、やれナチュラリズムだ、やれくしゃくしゃイズムだと人様の考えを受け売りしてきただけの話さ。二十五年のあいだ、あいつが喋ったり書いたりしてきたことは、利口な人間にはとうの昔から分かりきったこと、ばかな人間にはクソ面白くもないことなんで、つまり二十五年という歳月は夢幻泡沫に等しかったわけなのさ。だのに、やつの自惚れようはどうだい。あの思い上がりようはどうだい。こんど停年でやめてみれば、あいつのことなんか、世間じゃ誰ひとり覚えちゃいない。名もなにもありゃしない。つまりさ、二十五年のあいだ、まんまと人さまの椅子に坐っていたわけだ。ところが見たまえ、あいつはまるで、生き神さまみたいに、そっくり返っていやがる。
続きを読む
『少年時代』トルストイ著、原卓也訳
■他者を意識すること
訳者の解説によると、
トルストイはこの作品の中で少年時代という時期の特色を、「それまで見慣れていたあらゆるものが突然まだ知らなかった別の面を示したかのように、ものの見方がまったく変わってくる」ことにあると説明している。そして『少年時代』という作品を前作『幼年時代』からはっきり際立たせているのは、まさに作品の中にはじめて「外部の世界」が示され、「他者」にたいする意識が目覚めた点にあると言ってよい。
この旅でニコーレニカははじめて、自分たちにおじぎをしようとしないばかりか、視線さえ送ってよこさぬ商人や百姓たち、すなわち他人の存在を意識する。
であって、外部の世界、他者の存在が本作のテーマです。
続きを読む